ロシアの旅5
 黄金の環とモスクワ

2008年7月7日(月)-5日目

 スーズダリを出発したバスは、昼頃にセルギエフパッサート(ロシアの旅1の地図参照)という町に入った。モスクワから一番近い「黄金の環」である。昼食後、この町にあるトロイツエ・セルギエフ大修道院を見学。カメラ代100ルーブル(約500円)が必要だったが、引き替えにCDをくれた。帰国後に聴いたら、厳かな聖歌が何曲も入っていた。

 この修道院には神学校もあり、黒衣の学生が三々五々歩いていた。神学校の学生800人の中には、日本人も1人いるそうだ。一生、神に仕える修道士達は、結婚も許されず肉やワインも禁止。

 ロシアのキリスト教は、988年にウラジミール公が、ギリシャ正教を国教にしたことから始まる。ソ連時代は宗教が禁止され、破壊を免れた寺院も倉庫や博物館に使われていたと聞く。修道士や神父の多くは殺された。80年間も弾圧されながら、人々の心は変わることはなく、今は85%の人が教会に通っているそうだ。どのようにして信仰を絶やさないで来たのだろうか

神学校の学生 修道院の鐘楼 聖母子のイコン
神学校の学生達 セルギエフ修道院の鐘楼 聖堂内のイコン

 城壁に囲まれた修道院内部には、鐘楼・ウスペンスキー聖堂・トロイツキー聖堂・食堂・教室などいろいろな建物があった。ウスペンスキー聖堂とトロイツキー聖堂は、内部に入って見学したが、どちらもイコンとフレスコ画。

 ロシア入国5日目で、モスクワ・ウラジミール・セルギエフパッサートの3ヵ所で、ウスペンスキー聖堂を見学した。ウスペンスキーは一般名詞で、聖母昇天という意味。聖母マリア教会と言うとわかりやすいかもしれない。

トロイツキー聖堂には、聖セルギエフの骨が納められている。聖セルギエフは、モンゴルの支配に対抗するロシア諸公のまとめ役になったので、ロシアの守護聖人になっている。ロシアでいちばん尊敬されている聖人だという。スカーフをかぶった女性達が熱心に祈り、聖骨にキスをしていた。スカーフを被る習慣は、イスラム教に似ている。

一路モスクワに戻る移動時間が長いので、スラヴァさんへの質問タイムになった。誠実に答えてくれたようだが、私はあいにくバスの後ろの方でマイクの状態が悪く、よく聞き取れなかった。

8時頃モスクワのコスモスホテルに戻った。今日でモスクワとはお別れだ。私達のモスクワ見学は寺院ばかりで、ほとんど街を歩いていない。バスでは何度も通ったが、自分の足で街を歩きたい。寺院を省いてもいいから散策の時間を取って欲しいと、ほとんどの人思っているようだが、ガイドが勝手にコースを変えるわけにはいかない。参加者の中には、ロシア正教寺院を極めたいと思っている人が、いるかもしれないのだ。

フランスやイタリアのツアーの人達は「イコンばっかり」「修道院ばっかり」と文句をつける人が多いとスラヴァさんは言っていた。「日本人は文句を言わないのでガイド仲間の評判が良いです」とも。フランスやイタリア人は、キリスト教が身に付いている。カトリックと正教の違いなども分かり、面白く感じるのかと思ったが、どうもそうではないようだ。もちろん、ロシアに来たからにはロシア正教には触れたい。でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺もある。

花売り モスクワの地下鉄 宇宙博物館
花売りもいるほど、モスクワの渋滞は有名だ。 モスクワの地下鉄駅構内は重厚だ。シャンデリアもある。 ホテル前にある宇宙飛行士博物館はおもしろい形をしている。

地下鉄に乗って街に行きたいという希望のほんの少しかなえてくれた。ホテルに近いヴェーデーエヌハーという地下鉄の駅構内だけを希望者が見に行くことになった。スラヴァさんは、ここから1時間以上かかる郊外に住んでいる。彼を見送るという形で、構内を見てきた。クラシックで良い雰囲気だ。ラッシュ時刻を過ぎているためか、車内はすいていて、スラヴァさんは座ることが出来た。

ホテルの前には24時間スーパーがあった。特に欲しい物はないし、旅はまだまだ続くので行かなかったが、社会主義時代には、24時間スーパーなど考えられなかったろう。

3泊したホテルの真ん前に奇抜な形をした宇宙飛行士博物館があった。1961年、人類最初に地球を出たガガーリンのヴォストークは私達にも馴染みがある。見学したかった。<モスクワのコスモスホテル泊>
                                                       (2010年1月2日)

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