ロシアの旅6 2008年7月8日(火)−6日目 今日は、モスクワからサンクトペテルブルグへ飛行機(左)で移動する。日本からモスクワまでの国際便より、モスクワからサンクトペテルブルグまでの国内便の方が、身体検査が厳しかった。全員が靴を脱がされるほど徹底していた。 9時50分モスクワ発→プルコヴォ航空で 11時10分サンクトペテルブルグ着 空港から昼食のレストランに向かう途中で、パナソニックの大きな広告が目に入ってきた。去年の12月には、トヨタの工場が完成。日産やスズキも建設中。特に自動車メーカーの進出がめざましい。サンクトペテルブルグの場合、半数の家庭は車を所有している。家族で2台の時代も来るだろうから、日本車も売れるだろう。 サンクトペテルブルグの観光は後回し。昼食後、およそ450q離れたペトロザヴォーツクに向かった。モスクワからスーズダリへの道と同じように、森林と草原の繰り返しである。町らしき所がほとんどないので、トイレに苦労した。特にキシェリナという町のトイレは、少し前の中国トイレより汚かった。青空のほうがマシだと思うがそれも適わなかった。 夕方6時、カレリア共和国の横断幕がかかる所(左)で写真ストップ。ソ連時代に15あった共和国の半数は独立したが、まだ8つの共和国が残っている。そのうちのひとつカレリア共和国はここからはじまる。 森林と草原の先に、突然高層ビルが見えてきた。カレリア共和国の首都・ペトロザヴォーツク(ロシアの旅1の地図参照)だ。寒村だったこの地に、ピョートル大帝が製鉄所を作り、「ピョートルの工場」という意味の町を作った。バルト海を得ようとして作った町でもある。人口は27万人。以前はピョートル大帝の宮殿もあったが、第2次世界大戦でフィンランドによって破壊された。 夕食のレストランには、食事のためだけのガイドが待っていた。ツアー客には目もくれず愛想がない。ホテルに入ったのは10時半。実に長い1日だった。<ペトロザヴォーツクのカレリアホテル泊> 7月9日(水)−7日目 ロシアの旅を決めた時から、スーズダリとキジー島だけは晴れて欲しいと願っていた。スーズダリの時も降っていたが、キジー島訪問の今日も朝から冷たい雨。7月は雨が多いとはいえ、ついてない。 まずペトロザヴォーツク市内を見学。といっても市民公園とピョートル大帝の像を見るだけだ。1時間もかからないここを案内するのに、アナスターシャさんという地元ガイドがついた。ナターリャさんでも充分ガイドできると思うが、きのうの夕食ガイドといい、少ない仕事をワークシェアしているのだろう。 10時に、オネガ湖に浮かぶ島・キジー島へ向かう水中翼船に乗った。1時間20分ほどの船旅だったが、雨は降り止まないし波も高い。外を見る気も起こらず船室に籠もっていた。 この島のガイドはアンナさん。地元ガイドは日本語ができないので、ナターリャさんが通訳する。ホテルもレストランもない。木造建築野外博物館の観光だけで成り立っている島である。
見どころは、1714年建築のプレオブラジェンスカヤ教会。夏の教会の呼び名がある。高さ37bに22もの葱坊主のドームが重なり合って、言うに言われぬシルエットを作っている。「これが見たかったのよ」と口に出したからとて、雨は止んでくれない。 隣にあるポクロフスカヤ教会は、1764年再建の冬の教会。高さは27bで、葱坊主も11と半分の規模である。鐘楼とともに、この3つが並ぶと絵葉書の美しさ。この3つだけが元来キジー島にあり、他の木造建築は他からの移築だという。明治村みたいなものだと知り、がっかりしてしまった。 移築のひとつ富農の家を見学。民族衣裳を着て機織りや刺繍の実演をしている女性がいた。窓際で刺繍をしている姿(左)が、まるでフェルメールの絵のように優雅だったので、何枚もカメラにおさめた。光線の具合が良くて、今回の旅でいちばんの傑作になった。 ガイドと一緒の見学を終えてフリータイムになる頃から、急に晴れてきた。単に雨が止んだだけでなく、青空が広がるうれしい激変だ。
キジー島には約50人が住んでいると聞いていたので、農民や漁民が働く姿を期待していた。「期待したのはあなたの勝手でしょ」と言われそうだが、観光客と土産物売りにしか会わなかったことに少々がっかりした。(2010年1月16日 記) 感想・要望をどうぞ→ |