ロシアの旅6
 キジー島

2008年7月8日(火)−6日目

国内便

 今日は、モスクワからサンクトペテルブルグへ飛行機(左)で移動する。日本からモスクワまでの国際便より、モスクワからサンクトペテルブルグまでの国内便の方が、身体検査が厳しかった。全員が靴を脱がされるほど徹底していた。

 ロシア国内では、民族対立などいろいろな問題をかかえていて、いつテロが起こっても不思議はない。それを思うと、厳しい検査はむしろありがたい。

 それにしても、空港の職員はどこの国でもコワイ人が多いが、ロシアでは笑うのが損だと思っている人ばかりだ。

9時50分モスクワ発→プルコヴォ航空で 11時10分サンクトペテルブルグ着

ナターリャさん ガイドのナターリャさん(左)が空港で出迎えてくれた。ナターリャさんは、19歳と13歳の男の子のお母さん。20代前半の若いガイドも見かけるが、彼女は激動期を知っている世代。日本語も達者だし、私達には嬉しいガイドだ。

「ナターシャとナターリャは似てますね」と話しかけたら「ナターシャは、ナターリャの愛称なんです」とのこと。ナターシャは、「戦争と平和」の愛らしいヒロインの名前と同じ。これだけで親しみを持ってしまった。

 空港から昼食のレストランに向かう途中で、パナソニックの大きな広告が目に入ってきた。去年の12月には、トヨタの工場が完成。日産やスズキも建設中。特に自動車メーカーの進出がめざましい。サンクトペテルブルグの場合、半数の家庭は車を所有している。家族で2台の時代も来るだろうから、日本車も売れるだろう。

 「ガソリンがどんどん上がっています。1gで20〜25ルーブルもするんです」とナターリャさんはため息をついた。20ルーブルは100円弱。平均給与からすると高い。それにロシアは産油国なのだ。石油で大儲けした金持ちがいるのだから、利益を還元したらどうかと、他国のことながら思ってしまう。

 サンクトペテルブルグの観光は後回し。昼食後、およそ450q離れたペトロザヴォーツクに向かった。モスクワからスーズダリへの道と同じように、森林と草原の繰り返しである。町らしき所がほとんどないので、トイレに苦労した。特にキシェリナという町のトイレは、少し前の中国トイレより汚かった。青空のほうがマシだと思うがそれも適わなかった。

カレリア共和国

 夕方6時、カレリア共和国の横断幕がかかる所(左)で写真ストップ。ソ連時代に15あった共和国の半数は独立したが、まだ8つの共和国が残っている。そのうちのひとつカレリア共和国はここからはじまる。

森林と草原の先に、突然高層ビルが見えてきた。カレリア共和国の首都・ペトロザヴォーツクロシアの旅1の地図参照)だ。寒村だったこの地に、ピョートル大帝が製鉄所を作り、「ピョートルの工場」という意味の町を作った。バルト海を得ようとして作った町でもある。人口は27万人。以前はピョートル大帝の宮殿もあったが、第2次世界大戦でフィンランドによって破壊された。

夕食のレストランには、食事のためだけのガイドが待っていた。ツアー客には目もくれず愛想がない。ホテルに入ったのは10時半。実に長い1日だった。<ペトロザヴォーツクのカレリアホテル泊>

7月9日(水)−7日目

 ロシアの旅を決めた時から、スーズダリとキジー島だけは晴れて欲しいと願っていた。スーズダリの時も降っていたが、キジー島訪問の今日も朝から冷たい雨。7月は雨が多いとはいえ、ついてない。

 まずペトロザヴォーツク市内を見学。といっても市民公園とピョートル大帝の像を見るだけだ。1時間もかからないここを案内するのに、アナスターシャさんという地元ガイドがついた。ナターリャさんでも充分ガイドできると思うが、きのうの夕食ガイドといい、少ない仕事をワークシェアしているのだろう。

 10時に、オネガ湖に浮かぶ島・キジー島へ向かう水中翼船に乗った。1時間20分ほどの船旅だったが、雨は降り止まないし波も高い。外を見る気も起こらず船室に籠もっていた。

 この島のガイドはアンナさん。地元ガイドは日本語ができないので、ナターリャさんが通訳する。ホテルもレストランもない。木造建築野外博物館の観光だけで成り立っている島である。

鐘楼と夏の教会と冬の教会 夏の教会
鐘楼・22の屋根を持つ夏の教会・11の屋根を持つ冬の教会 夏の教会の拡大写真

 見どころは、1714年建築のプレオブラジェンスカヤ教会。夏の教会の呼び名がある。高さ37bに22もの葱坊主のドームが重なり合って、言うに言われぬシルエットを作っている。「これが見たかったのよ」と口に出したからとて、雨は止んでくれない。

刺繍する女性 これまで見てきた金色や青のドームとは違い、内部も屋根瓦もすべて木で作られている。釘は1本も使われていない。内部は松材、瓦はハコヤナギ材だと説明をうけた。建物の傷みが進んでいるために、中に入ることが出来なかった。茶色のドームを想像していたが、遠くから見るとなぜか銀色に見えた。

 隣にあるポクロフスカヤ教会は、1764年再建の冬の教会。高さは27bで、葱坊主も11と半分の規模である。鐘楼とともに、この3つが並ぶと絵葉書の美しさ。この3つだけが元来キジー島にあり、他の木造建築は他からの移築だという。明治村みたいなものだと知り、がっかりしてしまった。

移築のひとつ富農の家を見学。民族衣裳を着て機織りや刺繍の実演をしている女性がいた。窓際で刺繍をしている姿(左)が、まるでフェルメールの絵のように優雅だったので、何枚もカメラにおさめた。光線の具合が良くて、今回の旅でいちばんの傑作になった。

ガイドと一緒の見学を終えてフリータイムになる頃から、急に晴れてきた。単に雨が止んだだけでなく、青空が広がるうれしい激変だ。

 青いオネガ湖、野に咲く草花、木造の風車・小さな教会・納屋・水車小屋が、牧歌的な風景を醸し出している。「晴れて良かったわねえ」と誰もが嬉しそうに口にした。横殴りの雨と青空では印象が全く違う。


牧歌的な景観 野に咲く花 天気が回復して青空
牧歌的な景観。右に見える建物は富農の家 野に咲く草花 急に天候が回復して青空

キジー島には約50人が住んでいると聞いていたので、農民や漁民が働く姿を期待していた。「期待したのはあなたの勝手でしょ」と言われそうだが、観光客と土産物売りにしか会わなかったことに少々がっかりした。(2010年1月16日 記)

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