ロシアの旅9 2008年7月11日(金)-9日目 サンクトペテルブルグ観光の続きを書いている。今回の旅では、当たり前ながらロシア正教の寺院をたくさん訪れた。サンクトペテルブルグを例にとると、ロシア正教の寺院が100もあるのに、カソリックとプロテスタントは3つ、イスラム教とユダヤ教と仏教はそれぞれ1つしかない。
昼食後、ドストエフスキー文学記念博物館へ。ドストエフスキーは、15歳のときにモスクワからサンクトペテルブルグに移って以来、市内のアパートを20ヵ所ぐらい転々とした。いずれも教会の屋根が見える部屋を選んだという。1878年から1881年1月28日に亡くなるまで住んでいたアパートが、博物館になっている。 ダイニング・子ども部屋・書斎などが、ほぼそのままに保存されている。書斎の時計は、彼が亡くなった8時38分を指していた。 18歳のときに、父親が農奴に殺されている。30歳のときに、革命的サークルに入りシベリアに流された。こうした経験が作品に反映されているという。最近日本では「カラマーゾフの兄弟」がよく読まれているようだが、恥ずかしながら私は読んでない。 予定には入っていないが、市場に行ってみたいという私達の希望を聞いてくれた。すぐ近くにある市場でフリータイム。働いている人は、英語が通じないが愛想がよくて、菓子やピクルスなどを味見させてくれた。山積みの食料品から豊かな食生活が想像できる。
昼食は1時だったのに、夕食は5時。劇場でバレーを見る関係で、夕食がこんなに早い。アレキサンドリンスキー劇場での「白鳥の湖」観舞は、ツアー代金に含まれているが、プラス2万円で有名なマリンスキー劇場で鑑賞できるという案内が事前にあった。演目の「海賊」に馴染みがないし2万円がもったいないので、私たちはオプションには申し込まなかったが、4組のご夫婦が「海賊」組だった。
<サンクトペテルブルグのプリバルチスカヤホテル泊> 7月12日(土)-10日目 今日はサンクトペテルブルグ郊外にある2ヵ所の宮殿を見に行く。まず南に25qにあるツアールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿へ。1724年ピョートル大帝の妃・エカテリーナ1世のために建設。エリザベータ女帝のときにバロック様式で改築、エカテリーナ2世の時代にもクラシック様式で改装された。 青い外壁と金色の装飾が涼しげに思える宮殿(上)だ。横に長い宮殿で、1枚の写真に収まりきらない。入り口で音楽隊の演奏が迎えてくれた。ロシアの人達には音楽が根付いているのか、ここ以外でもコーラスや楽器の演奏に何度も出会った。 儀式用の階段を上がると、西側に寝ているキューピット像・東側に目覚めのキューピット像があった。表情がかわいらしい。大広間・大玉座の間・豪華な食堂・赤い間・緑の間・琥珀の間・130枚の絵画が飾られた絵画の間など55もの部屋を見て歩いた。
琥珀の間も人気がある。第2次大戦でドイツ軍に琥珀を持ち逃げされたが、2003年に修復再現されたばかり。天井も壁も天然の琥珀で覆われている。宮殿内部は、フラッシュさえたかなければ無料で撮影できるが、琥珀の間だけは撮影禁止。琥珀の間を目当てに訪れる人が多く、白夜で観光シーズンの今は、身動きができないほどの混雑だった。 600fもある宮殿の庭園には、浴場・小宮殿・エルミタージュ(隠れ家)・大池・コンサートホールなどが点在している。観光客もここまで来るとまばらになり、ほっとする。(2010年3月2日 記) 感想・要望をどうぞ→ |