ロシアの旅9
 サンクトペテルブルグ その2 

2008年7月11日(金)-9日目

サンクトペテルブルグ観光の続きを書いている。今回の旅では、当たり前ながらロシア正教の寺院をたくさん訪れた。サンクトペテルブルグを例にとると、ロシア正教の寺院が100もあるのに、カソリックとプロテスタントは3つ、イスラム教とユダヤ教と仏教はそれぞれ1つしかない。

 10世紀にロシア正教を国教に取り入れてから、およそ1000年。その間80年は宗教が禁じられていたが、細々とミサのできる教会は20あったという。そういう拠点があったからか、正教は見事に蘇っている。

 宗教を信じていない私からすると、この力はなんなのだろうと、真剣に考えてみるがよくわからない。戦前満州に住んでいた方が「ロシア人は上品な人が多かったわ。静かに聖書を読んでいる姿を思い出す」と言っていた。陸続きの満州への亡命者は多かったようだ。国を去っても、堂々と聖書を読める自由をかみしめていたのだろうか。

ドストエフスキー文学記念館入り口にあるレリーフ のちに文豪と言われた人の居間にしては質素である。 家族のポートレート 学芸員の補助のために坐っている年金生活者「窓際族?」

昼食後、ドストエフスキー文学記念博物館へ。ドストエフスキーは、15歳のときにモスクワからサンクトペテルブルグに移って以来、市内のアパートを20ヵ所ぐらい転々とした。いずれも教会の屋根が見える部屋を選んだという。1878年から1881年1月28日に亡くなるまで住んでいたアパートが、博物館になっている。

ダイニング・子ども部屋・書斎などが、ほぼそのままに保存されている。書斎の時計は、彼が亡くなった8時38分を指していた。

18歳のときに、父親が農奴に殺されている。30歳のときに、革命的サークルに入りシベリアに流された。こうした経験が作品に反映されているという。最近日本では「カラマーゾフの兄弟」がよく読まれているようだが、恥ずかしながら私は読んでない。

 ドストエフスキーの子孫はどうしているのだろう。子ども2人は早く亡くなったが、娘と息子がいたはずだ。女性の学芸員は「曾孫は作家になった。2000年にアンナという曾曾孫が生まれた。路面電車の運転手になった曾曾孫もいる」など、さすが情報を収集している。

予定には入っていないが、市場に行ってみたいという私達の希望を聞いてくれた。すぐ近くにある市場でフリータイム。働いている人は、英語が通じないが愛想がよくて、菓子やピクルスなどを味見させてくれた。山積みの食料品から豊かな食生活が想像できる。

 ナターリャさんによると、1995年頃から食品類は溢れてきた。ソ連時代にはバナナ・みかん・パイナップルは手に入らなかったが、今では何でもある。でも食品のインフレが激しいので、年金生活者は苦しいという。ドストエフスキー博物館にも、学芸員の補助役の年金生活者がいたが、市場の前にはお年寄りの乞食が3人いた。「3人寄れば恥ずかしくない」のかしら。

キュウリのピクルスが山積み。愛想良く味見させてくれた。 新鮮な果物も豊富だ。社会主義のときは、バナナが貴重品だった。 後ろ姿の3人は乞食。みんなお年よりの年金生活者だそうだ。

昼食は1時だったのに、夕食は5時。劇場でバレーを見る関係で、夕食がこんなに早い。アレキサンドリンスキー劇場での「白鳥の湖」観舞は、ツアー代金に含まれているが、プラス2万円で有名なマリンスキー劇場で鑑賞できるという案内が事前にあった。演目の「海賊」に馴染みがないし2万円がもったいないので、私たちはオプションには申し込まなかったが、4組のご夫婦が「海賊」組だった。

 「2万円も違うのだから、こちらは場末のうらぶれた劇場で、バレリーナも下手なんだろう」と、「白鳥」組は半ばヤケ気味だったが、意外や意外。場末どころか、中心街のネフスキー通りの近くにあった。外観も内部も華やか。ホテルを朝出てから着たきり雀の私が一瞬たじろぐほどの豪華な劇場だ。でも旅行者が多いからか、みなラフな格好をしていて安心した。

 「白鳥の湖」は曲も知っているし、バレーも数回見ているので、だいたいの筋はわかる。白鳥・黒鳥・王子のしなやかな動きを見逃すまいと、舞台に目を凝らした。マリンスキー劇場のバレリーナより劣るのかもしれないが、私には違いはわからない。夢のような2時間を過ごした。上演中は撮影禁止だが、カーテンコールの時は撮っても良い。  

場末の劇場を想像していたが、意外にもアレキサンドリンスキー劇場の外観は堂々としている。 内部も華やかで夢のような時間を過ごした。 上演中はカメラ禁止だがカーテンコールのときは許される。白鳥・監督・黒鳥。うしろの男性が王子。

                                  <サンクトペテルブルグのプリバルチスカヤホテル泊>

7月12日(土)-10日目

今日はサンクトペテルブルグ郊外にある2ヵ所の宮殿を見に行く。まず南に25qにあるツアールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿へ。1724年ピョートル大帝の妃・エカテリーナ1世のために建設。エリザベータ女帝のときにバロック様式で改築、エカテリーナ2世の時代にもクラシック様式で改装された。

 青い外壁と金色の装飾が涼しげに思える宮殿(上)だ。横に長い宮殿で、1枚の写真に収まりきらない。入り口で音楽隊の演奏が迎えてくれた。ロシアの人達には音楽が根付いているのか、ここ以外でもコーラスや楽器の演奏に何度も出会った。

 儀式用の階段を上がると、西側に寝ているキューピット像・東側に目覚めのキューピット像があった。表情がかわいらしい。大広間・大玉座の間・豪華な食堂・赤い間・緑の間・琥珀の間・130枚の絵画が飾られた絵画の間など55もの部屋を見て歩いた。

 特に大広間は、カムチャッカに漂流した大黒屋光太夫が、エカテリーナ2世に謁見して帰国の許しを得た部屋だ。井上靖の小説「おろしゃ国酔夢譚」を読んだことがあるので、是非とも来てみたかった。映画のロケにもそのまま使われたそうで、帰国後に緒形拳主演のDVDをゆっくり見た。

礼装をした楽隊が出迎えてくれた。 エカテリーナ2世が大黒屋光太夫と謁見した大広間。 豪華な食器が飾ってあるこんな部屋がいくつもある。

琥珀の間も人気がある。第2次大戦でドイツ軍に琥珀を持ち逃げされたが、2003年に修復再現されたばかり。天井も壁も天然の琥珀で覆われている。宮殿内部は、フラッシュさえたかなければ無料で撮影できるが、琥珀の間だけは撮影禁止。琥珀の間を目当てに訪れる人が多く、白夜で観光シーズンの今は、身動きができないほどの混雑だった。

 600fもある宮殿の庭園には、浴場・小宮殿・エルミタージュ(隠れ家)・大池・コンサートホールなどが点在している。観光客もここまで来るとまばらになり、ほっとする。(2010年3月2日 記)

感想・要望をどうぞ→
ロシアの旅1へ
次(サンクトペテルブルグ その3)へ
ホームへ