ルーマニア・ブルガリアの旅 3 2010年6月23日(水)−4日目 今日は一日かけて、ブコヴィナ地方(ルーマニア・ブルガリアの旅1の地図参照)の5つの修道院をめぐることになっている。10年前から憧れていた外壁のフレスコ画を見物する日だが、よりによって朝から雨が降っている。最近は、どうしても晴れて欲しい日によく降られる。 ホテルのすぐそばに市場があったので、出発前にのぞいてみた。サクランボが1`でわずか7レウ(210円ぐらい)。つまんでみたら絶妙な味だったので迷わず買った。ツアーのみなさんにお裾分け。 5つの修道院はそれぞれが離れているうえに、公共の交通機関が発達していないので、バスで巡ってくれるツアーは有り難い。 修道院の撮影には、カメラ代を徴収される。1キロのサクランボとほぼ同じ値段だから高いと思うが、この壁画を見るために来ているので、夫と2人分を払う。普通のカメラは6レウ、デジカメは10レウ。デジカメは贅沢品と考えているのだろうか。 ルーマニア北東部のこの地方は、ウクライナとモルドヴァ共和国と国境をなしている。15世紀から16世紀が最盛期だった。この時代はオスマントルコ帝国の絶頂期。近隣のほとんどの国がオスマントルコに支配されたが、モルドヴァ公国は必死で抵抗してなんとか自治を守った。 まずモルドヴィッツア修道院へ。1532年にラレシュ公が建てた。2年前にロシア正教の寺院や修道院を飽きるほど見た。同じ東方正教会だから建築も似ていると勝手に思いこんでいたが、ロシアのそれとはまったく違う。モルドヴィッツア修道院は、円筒形の建物にひさしの長い丸屋根。8角形の塔は、カトリックのゴシックのように天まで届けという大げさな塔ではない。芝生の上に、こぢんまりとひっそりと立っている佇まいが、風情をそそる。
フレスコ画は写真では見ていたが、これほど鮮やかに残っていることにびっくりした。私の常識からすると不思議なのだが、どこの修道院も南の壁の絵がよく残っていて、北側は薄くなって消えかかっている。フレスコ画の敵は太陽ではなく、北風と豪雪だという。北側の劣化が激しい。キリスト教会は東のエルサレムに向かって祭室を作るので、入り口が西になる。入場券売り場から見て正面が東、右が北、左が南である。 字が読めない村人でも教えが分かるようにと、聖書の内容をフレスコ画で表している。内部ばかりでなく外部にも描いたのは、中に入りきれない人のためだという。 南の壁面の下の方には、血の雨が降る戦闘場面が描いてあった。626年、ペルシャ軍によるビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブル包囲がモチーフだ。「ペルシャ軍兵士の顔や装備は、オスマントルコ軍の顔と装備なんです。自治を認められていたモルドヴァ公国とはいえ、トルコに対する恐怖が消えなかったのです」とマリウスさんは説明してくれた。 5つの修道院には修道士はひとりもいない。修道女ばかりだ。受付にいる人も内部を説明している人もみな女性。写真を撮ってもいいかと修道女に聞いたら、にっこり笑って頷いてくれた。だからここではフレスコ画と修道女の写真を何枚か写したが、「修道女を撮ってはいけない」とガイドを通して言われたところもあった。 次はスチェヴィッツア修道院。修道院5つの中でいちばん新しい1586年に出来た。建物も大きく、フレスコ画もよく残っている。でもなぜかここだけは世界遺産になっていない。一般的には北側のフレスコ画の劣化が激しいが、ここの北側には有名な「天国への梯子」の絵が残っている。防壁が北風を防いでいたらしい。 3つめはアルボーレ教会。ここは修道院ではなく、1503年にアルボーレという貴族により建立された教会。聖人達の生活や「創世記」の場面が残っていて、雨に濡れた緑の芝生と木々と調和していてきれいだった。雨降りは残念なのだが、どの修道院でもバラが満開。花びらに水滴がつき、雨だからこその光景も味わえた。 ランチの後、4つめのフモール修道院を訪れた。1530年に建立。壁画は宮廷画家トーマスによって描かれた。画家の名前が分かっているのはここだけだが、残念ながら保存状態は良くない。
最後はヴォロネッツ修道院。1488年にシュテファン大公が建立。シュテファンがトルコに勝つたびに建てた修道院のひとつ。「ヴォロネッツの青」と呼ばれる青が鮮やかな壁画が印象的だ。東面には「聖人伝」、南面には「エッサイの樹」、西面には「最後の審判」。「エッサイの樹」はよく描かれるモチーフで、ダビデの父エッサイからイエスまでの系図だ。
えてして期待は裏切られることが多いが、5つの修道院は裏切らなかった。壁画もさることながら、丸みをおびた小振りな建物はどれも可愛らしくて、けばけばしさがない。気軽に入っていける暖かみがあり、信仰の場にふさわしい気がした。 修道院めぐりをしている途中の景色も忘れがたい。草をうずたかく積み込んだ馬車や畑仕事を終えた農民が乗った馬車が、バスの傍らを通る。平行して走っているので写真を撮りにくいのが残念だ。21世紀になって10年が過ぎた今、観光用でない馬車がこんなに走っている所は、世界でも珍しいような気がする。
このあたりの人は、農業と牧畜を営みながら自給自足している。食べ物ばかりでなく、木製の道具や衣類も自分たちで作っている。家畜用の干し草を高くつみあげたものが車窓からよく見えた。干し草の形は、どこで見てもほとんど同じ。形容しがたいが、あえていうと円錐形のてっぺんが尖ってない形。よくもこんなきれいな形に積み上げられるなと感心してしまう。一種の芸術だ。 垣間見ただけで言うのもなんだが、自給自足をしている彼らは幸せなんだろうなと思う。畑で働いた後には楽しい夕餉と団らんが待っている。ストレス社会とは無縁の世界をのぞかせてもらった。 ホテルのエレベーターは、手動式で二重の扉がついている。開くタイミングを間違うと動いてしまう代物で、ひとりだったらオロオロしてしまいそうだ。戦前のヨーロッパの映画に出てくるようなクラシカルなエレベーターだった。 <クンプルング・モルドベネスクのジンブルホテル泊> (2011年12月16日 記) 感想・要望をどうぞ→ 次(フォークロアの里・マラムレシュ地方)へ ルーマニア・ブルガリアの旅1へ ホームへ |