ルーマニア・ブルガリアの旅7 2010年6月27日(日)-8日目 ホテル出発後1時間半ほどで、シプカのキリスト生誕教会に着いた。シプカは、1877〜1878年の露土戦争(ロシアとトルコの戦い)で激戦の舞台になったところ。山の頂上には自由の碑が立っているが、訪れる時間はなかった。露土戦争でロシアが勝利したことで、ブルガリアは500年にわたるトルコの支配から抜け出すことができた。 ロシアはブルガリアのために戦ったのではなく、南下して不凍港を欲しいがためにトルコと戦ったのだが、結果的にはブルガリが独立した。そのために、ブルガリア人はロシアに恩義と親近感を持っているという話を聞いたことがある。でもゲオルギ君は、「トルコ人も憎くないし、ロシア人に特別な感謝の気持ちも持ってないよ。でも年寄りはロシアを好きな人が多いね」。 ゲオルギ君は社会主義が崩壊したときにわずか6歳で、革命前後を実感していない。ましてや100年以上前の露土戦争は歴史に過ぎない。今のブルガリアが、親ロシアではなく親西ヨーロッパだということはEU加盟を熱望していたことからも分かる。 シプカで訪れたのはシプカ僧院(左)。シプカ峠の戦いで犠牲になった兵を悼んで、1902年に建てられ教会。典型的なロシアの正教会で、金色のタマネギ型ドームが輝いている。当然ながらロシア政府の援助で作られた。 僧院に向かうために階段を上っているときに「どちらからいらっしゃいましたか」ときれいな日本語の声がした。「早期退職して5年前からここに住んでいます。物価は安いし人情も厚いし、住み心地がいいので居着いてしまったんです」。
つぎはカザンラクに行った。カザンラクは、ガイドのゲオルギ君が19歳まですごした町で「僕の家はここだった」と指をさした。「奥さんと知り合ったのもこの町。ブルガリアで美人がいちばん多いのもカザンラク」と、なんのてらいもなく話す。 ここのバラは鑑賞用ではなく、バラの香水の原料になる。世界のブランド香水の原料は、ほとんどがブルガリア産だという。ダマスクという種で、香りが強いらしい。120のバラからとれるローズオイルは、わずか1滴だ。バラ摘みは5月後半から6月初めにかけて行われる。私たちが遠目に見たバラの谷は、すっかり摘み取られた後だった。 カザンラクでまず訪れたのは、イスラク歴史博物館。中は撮影禁止なので、写真がない。細かいことは覚えてないが、トラキア人の古墳からの出土品の黄金のマスク・ネックレス・壺などが展示してあった。今はダムの底に沈んでいるトラキア人の町(セフトポリス)を、蘇らせる計画があるそうだ。模型が作ってあり興味深かった。 昼食のレストランで民族衣装のオバチャンが、1人1人にローズエッセンスの小瓶をプレゼントしてくれた。
博物館の傍にあるトラキア人の古墳も見に行った。こうした発見のほとんどがそうであるように、1944年に防空壕を建設中に偶然発見した。壁画は人の息で傷むことが分かったので、入場制限している所が多いが、ここも本物は別に保存して、精巧なレプリカを公開している。戦闘や葬送の様子が鮮やかな壁画に残されていた。こんなに高い文化を持ったトラキア人だが、いつの間にか混合してしまった。 夕方4時半ころプロブディフのホテルに着いた。夕食までに時間があるので、ホテル近くにある商店街や広場を散策したが、ほとんどの店が閉まっていた。そうか今日は日曜日。 <プロブディフのノボテルホテル泊> (2012年2月16日 記) |