ルーマニア・ブルガリアの旅 9 
 リラの僧院

2010年6月29日(火)-10日目

掃除のおばさん12日間のツアーだが、10日目の今日が実質上の最終観光日。朝早くホテルの周りを散歩したら、道路掃除のおばさん(左)に会った。言葉が通じないのは残念だが、愛想よくて大きな顔写真も撮らせてくれた。

 ブルガリア観光のハイライト、ブルガリア正教の総本山リラの僧院に行くために65`南下する。

コウノトリの巣  途中のコチェリノボという町は、コウノトリの生息地で30もの巣(右)がある。春から夏にかけて卵を産んで子育て。秋になるとアフリカに帰って行く。だから訪れる時期によっては、空の巣だけが残っていることもある。

 童話に出てくるコウノトリをヨーロッパの小さな町で初めて見たときは、大感激したものだ。今や見慣れた光景だが、写真ストップしてくれたのでカメラにおさめた。

リラの僧院へは山道を登って行くが、それにしては舗装道路の質がいい。ルーマニアでは合い言葉だった「ガタガタ道路」ではない。「ブルガリアのほうが豊かなのかしら」と夫に聞いたが、分かるはずない。そんなときにゲオルギ君から説明があった。「この道路はギリシャに通じています。アテネオリンピックのときに、EUの援助で完成しました」 ブルガリとギリシャが接しているなど考えもしなかったが、地図を見るとたしかに陸続きだ。

リラの僧院のリラは、花の名前ではなく、リラ山脈からきている。標高が1200bもある山中の僧院ということで期待していたが、観光バスが何台も駐まっていて、それだけで雰囲気は台無しだ。10世紀にイヴァン・リルスキーが山奥のここに小さな寺院を建てたことに始まる。現在の形になったのは14世紀。

 その後500年にわたってオスマントルコに支配された。トルコ支配の時には、ほとんどの正教会寺院は、イスラムのモスクにさせられたが、この僧院だけは黙認された。1833年の大火事で焼けてしまい、今ある建物のほとんどは復元。

リラの僧院 外壁のフレスコ画

白と黒の縞模様のアーチがあるリラの僧院の聖母誕生教会 

外壁に描かれたフレスコ画。天国と地獄の様子がリアルに表現されている 


 中心になっている聖母誕生教会は、白と黒の横縞模様のアーチで囲まれている。白黒の縞模様を選んだ建築家のセンスを疑ってしまうが、そのアーチの天井や外壁はフレスコ画で埋め尽くされている。ルーマニアでは5つの修道院の外壁いっぱいにフレスコ画が描かれていたが、ブルガリアで外壁のフレスコ画を見たのはここが初めてだ。

内部の正面には、幅が12bのバルカン半島最大のイコノスタシスがある。胡桃の木に金メッキをしたもので豪華。撮影禁止だったので写真はない。イコノスタシス中央には、イヴァン・リルスキーの聖遺物がおさめられている。左手だという。

フレリョの塔フレリョの塔(左)は、火災をまぬがれた唯一の建物。聖母誕生教会の建物よりはるかに僧院らしい雰囲気がある。この塔に合わせて教会や僧房を建築すれば良かったのにと思う。

博物館は見応えがあった。イヴァン・リルスキーの生涯を書いた本・イコン・ロシアからの贈り物・印刷機・5つの鍵が必要な金庫など、ブルガリ文化の保存にリラの僧院がはたした役割が大きかったことが分かる。

 「これだけは絶対に見て」とゲオルギ君が指したものは「ラファエロの十字架」。50aほどのツゲの木製の十字架だ。この小さな十字架に聖人など1500人も彫ったのが、僧のラファエロ。12年かけて彫った後、ラファエロは盲目になったという。そんなにまでして細かく彫らなくてもいいのにと思う。見る私たちだって見づらいのだ。

「昨日のヴァチコバ修道院やボヤナ教会の方がずっと良かったな」と思いながらリラの僧院を後にした。外観や雰囲気だけで比較するのは、気が引けることではあるが。 (2012年4月2日 記)


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