南米の旅 10 2005年9月12日(月)-11日目 空中都市は、霧のベールが消えては表れ、表情が刻々と変わる。そんな変化を上から堪能した後、実際に遺跡の中に入った。説明を聞きながらの見物なので、2時間以上かかった。 遺跡は農業地区と居住地区に大別される。農業地区の段々畑の周辺には、墓地や見張り小屋がある。段々畑では、今は何も作っていないが、当時はジャガイモ、トウモロコシ、クコの葉を作っていたようだ。ジャガイモやトウモロコシは、アンデスが原産地。スペイン人を通して、世界中に広まった食べ物だ。 ガイドブックの写真では、緑の段々畑と灰色の石組、青い空がきれいに写っている。でも、私が訪れた9月は南半球では春先、草が生え始めたばかりで緑が少ない。リャマが、芽生えたばかりの草を食んでいた。 居住地区へは、太陽の門から入った。門は長方形ではなく台形。なぜか宮殿や神殿の窓も台形である。この遺跡の石組みは、カミソリ1枚入らないと言われる「インカの石組み」よりずっとラフだ。「マチュピチュがインカ遺跡ではない」と言う人は、このことも指摘している。
特に太陽の神殿は、マチュピチュの建築物の中で、いちばん精巧に作られている。曲線が見事だ。東に向いた2つの窓からの太陽光線が神殿にスポットを当てたと言われる。エジプトのアブシンベル神殿も、1年に2度、太陽の光が奥まで差し込むように作られた。どの時代、どの地域の人にも、太陽への畏敬の念がうかがわれ、興味深い。 太陽への願いは、インティワタナという施設にも現れている。ここはマチュピチュの最高地点。インティは太陽、ワタナはつなぎ止める場所を指す。冬至に、太陽が自分を見捨てることなく再生してもっと長い新しい周期が始まることを太陽神に願ったという。岩の上に突き出た角柱は、夏至と冬至に太陽が通過するようになっている。日時計も兼ねていたらしい。 石の形がコンドルに似ていることから、コンドルの神殿の名がついているが、半地下の部分は、牢獄だったと言われる。盗まない、怠けない、騙さないの掟を破った人には、重い刑が下されたという。手前の石は、生け贄台。ここだけは、おどろおどろしい一帯である。
これで、少しは遺跡の規模がわかってもらえただろうか。インカの石組みほど精密ではないが、ほとんど石で出来ているので、木のように腐ることも燃えることもない。日干しレンガのように、崩れることもない。保存状態は非常にいいのだ。住人が突然いなくなってから数百年も、誰も近づかなかった遺跡。日本のような木造建築なら、とうに腐っていたに違いない。 アグアスカリエンテス発(3時半)→高山列車で→ホロイ着(6時30分ころ)。ホロイはクスコの1つ手前の駅。市街地の展望に良い場所に寄るには、クスコより好都合だとのこと。車内では飲み物と菓子が出され、民族踊りも見せてくれた。大サービスの車中だった。(2006年11月1日 記) |