南米の旅 3
イグアスの滝

2005年9月5日(月)―4日目

 まず向かったのは、三国国境地点。パラナ川とイグアス川が合流する地点に、パラグアイ、ブラジル、アルゼンチンの三国国境がある。1320キロのイグアス川はいつも茶色。4000キロのパラナ川は澄んでいる。合流地点を見ると、水の違いは明らかだ。国境が決まったのは1903年。ブラジルから両国を眺めたが、それぞれの国旗を示したモニュメントが建っていた。

今回はパラグアイを訪れないが、日系人が多いという。ブラジルの日系人は、フォークと皿を使っているが、パラグアイの日系人は茶碗と箸を使うなど、日本の習慣を守っている。こんな話を聞くと、パラグアイにも行ってみたくなった。ガイド坂田さんのご主人が勤めているのも、パラグアイのパナソニックだ。日本の企業も進出しているらしい。

 次は、パラナ川に建造されたイタイプーダムへ。エジプトのアスワンダムを抜いて、世界一の出力発電所だという。コンクリートの巨体を見ても感慨はわかないが、国が発展している証だろう。

 午後は、ブラジル側からのイグアスの滝見物。ホテルの前に遊歩道の入口がある。奥の展望台まで1.2qの道のりだが、右側には絶え間なく滝が見える。奥の展望台は、きのう見物した「悪魔の喉笛」の落下地点だ。昨日同様、水しぶきと轟音がすさまじいが、今日も上天気。滝のしぶきにかかる虹と青空は、しぶきばかりで色のない世界に華やかさを添えた。

イグアスの滝は1億2000万年前にはすでに存在していたと考えられる。古くから原住民は知っていたが、西洋人が知ったのは16世紀半ば。

 滝見物のわれわれを、ビデオカメラマンが追いかけている。「こっちを向け」とか「スマイル!」など、うるさい。せっかく大自然を堪能しているのに、台無しだ。

3時半から自由時間。ほとんどの人は、オプションのボート乗りに参加したが、私たちは再び遊歩道からの滝を堪能した。ボートは、滝壺に近づき、急旋回するらしい。高いお金(60ドル)を出したうえに恐い思いをするのはイヤだ。もしゴムボートから転落したら誰が責任を負うのだろう。「面白かった」という人が多かったが、「恐ろしかった」と話す人もいた。
<ブラジルのトロピカル・ダス・カタラタス泊>

9月6日(火)―5日目

 モーニングコールは3時半。今回の旅では、このような無茶苦茶なモーニングコールが何度もあったが、事前の予定表では、これほどきつい日程だと推定出来なかった。

 イグアス発(6時)→クリチバ経由(機内待機)→サンパウロ着(8時35分着) サンパウロ発(11時40分)→マナウス着(2時20分)

 アマゾン流域にあるマナウスに着いた。ブラジル唯一の税金のかからないフリーポートで、最大の河川貿易港でもある。着いたとたん、太陽が容赦なく照りつけ、一気に赤道付近まで飛んできたことを実感する。乾期は6月末から12月末なので、9月の今は乾期の暑い時期にあたる。最高気温は35度ぐらいだが、いちばん暑くなる10月半ばには40度にも達するという。

 ガイドは大塚洋一さん。今回の旅でもっとも印象に残ったガイドだ。1958(昭和33)年、大塚さんが3歳の時に移住して来た。引き締まった筋肉質の体型や話しぶりからは、とても50歳には見えず若々しい。出身地は福岡。軍人だった父親は、終戦後炭坑に勤めていたが、炭坑が閉鎖したために、新天地を求めた。

ところが、事前に日本で聞いていた条件とは大違い。あてがわれた地は、マナウスからら40キロも離れた密林地帯だった。現地の人は、そこに送り込まれた日本人のことを「アマゾン牢人」と呼んだ。

密林で育った彼は、アマゾン川に生息する3000種の魚を全部食べた。動物も、ハチドリ以外はすべて食べたという。鳥の鳴き声も動物の遠吠えも実に上手だ。ターザンみたいな人なのだ。左写真は、密林の入口を案内してくれた大塚さん。

父親の軍人時代の写真を見せてくれたが、線や星の数が多く、かなりの地位だったことがわかる。ご両親は、いきなり、密林を耕す環境に来て苦労したのではあるまいか。ブラジルに住んでいながら、大塚さんがポルトガル語を学んだのは、マナウスの高校に入ってからだった。両親が日本語しか話せなかったというのも、不思議ではない。

高校卒業後に東芝に勤め、そこで知り合ったブラジル人と結婚。大学生のお嬢さんが2人いる。「日本食も作ってくれるし、明るいしとても良い奥さん」と楽しげに語った。今はガイド以外に、食品の輸出会社を経営している。密林で育んだたくましさ、東芝勤務でつちかったリーダーシップを兼ね備えた素晴らしい方だ。同行者のOさんが「大塚さんみたいな人を日本男児と言うんだね」と、しきりに感心していた。

私は、大塚さんに出会うまで、戦後15年も経った頃に、ブラジルに移住した人がたくさんいたことを知らなかった。政府指導による大規模な移民船が出ていたことを、この歳になって初めて聞いた。去年放映された橋田壽賀子のドラマ「ハルとナツ」のように、移民は、すべて戦前に行われたとばかり思いこんでいた。大塚さん一家が移住した数年後に、日本は驚異的は経済的な発展をとげた。もしその発展が事前にわかっていたなら、移住者は、いただろうか。

大塚さんが移住した頃の詳細を知りたい方は、垣根涼介著「ワイルドソウル」(幻冬舎・2003年刊)をお奨めする。小説ではあるが、史実にもとづいているし、読んでいて飽きない。外務省移民課の無責任さに腹が立ってくる小説でもある。(2006年7月16日 記)

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