南米の旅 6 2005年9月9日-10日目 リオデジャネイロには、観光スポットがたくさんあるので、忙しい1日になりそうだ。 まず、砂糖パンを意味するポン・デ・アスーカルへ。岩の形が、ポルトガルの砂糖菓子に似ているからの名だ。入場券の写真とイラスト(左)から、想像して欲しい。 2つのロープウェイを乗り継いで、396bの頂上へ向かった。霞がかかっているような天気だったので、海も街並みもクリアには見えなかった(右)。 次はサッカーのマラカナンスタジアムへ。サッカーと言えばブラジル、ブラジルと言えばサッカーだから、その国の中心スタジアムを見ないわけにはいかない。ガイドの柴田さんが「大きくてびっくりしますよ」と何度も語ったが、横浜のスタジアムとさして変わらない。それに、1950年のワールドカップ開催時、50年以上前の施設なので、うす汚れている。小さい時に日本を離れた柴田さんは、日本のサッカー場を知らないのだ。 館内を見学していると、カナリア色のユニフォームに身を包んだサッカー選手が、リフティングをしていた。有名な選手かと思いきや、観光客のチップ目当てのパフォーマンスだった。写真を1枚撮ると1ドル。情けない商売をしているものだ。と言いながら、私も彼とツーショットを撮る羽目になった。 次はカーニバルスタジオへ。カーニバルは2月のある時期に4日間だけ開かれる。この日以外にリオを訪れた人のために、カーニバルの衣装を展示して、希望者に無料で試着させてくれる。同行者の5人と添乗員さんが試着したが、それぞれに、ぴったり。HPに載せる許可をもらっていないので、写真(左)は小さくしてある。 近所に、日系ブラジル人のエミリアさんが住んでいる。彼女の親も、マナウスのガイド・大塚さんや、リオのガイド・柴田さんの親と同じ頃、1950年代末に高知県から移住してコーヒー栽培に従事した。広大な農園を持つまでに成功したからか、子ども達は皆大学を出ている。 その彼女に「リオのカーニバルで踊ったことある?」と聞いたら、「カーニバルの踊り子は、みんなサンバの学校を出ているんですよ。それに踊り子の7割は、スラム街に住んでいます。私の家はリオから離れているし、勉強で忙しかったので、見たこともないんです」と、申し訳なさそうに話した。 サンバ学校で選ばれた14から17チームが、踊りまくる。1チームは3000人から8000人で編成されているとか。聞いただけで、踊り子の人数に圧倒される。毎年、テーマが変わるので、当然衣装も新しくする。メイン会場以外でも、B級グループの人達が踊るので、リオの街は踊り一色になるそうだ。 昼食は、シュラスコ料理(右)。シュラスコは、肉の塊を串に刺して焼いたもので、ブラジルを代表する料理。牛肉、豚肉、鶏肉の部位ごとに種類が違うので、40種ものシュラスコがある。どんどん運ばれてくるが、私は普段から肉をそれほど食べないのに、急に食べられるわけがない。ブラジル人に肥満が多いのは、こんな食事ばかりしているせいかもしれない。 コルコバードの丘に登るために、登山列車乗り場に向かった。遠足の子ども達など、たくさんの人があふれていて、かなり待たねば乗れない。時間が惜しいので、タクシーに分乗して山頂に向かった。 海抜710bに立つキリスト像(左)は、リオのシンボルでもある。独立100年を記念して1931年に作った。像の高さは30b、横一文字に広げた両手の幅は28b。最初はブロンズで作る予定だったが、予算の関係で、コンクリートに白い石を貼ったものになった。 |