南イタリアの旅 4 2006年10月6日(金)-3日目 3時にマテーラを発ち、4時半にアルベロベッロ(南イタリアの旅1の地図参照)に着いた。イタリアの形はブーツに似ているが、アルベロベッロはそのかかとに位置する。オリーブ畑が続く中、白い家並みが見えてきた。1996年に世界遺産に指定されて訪問者が増えたが、それでも住民は1万人ほど。有名な観光地にしては少ない。 ホテルで待っていたガイドのアレキサンドロさんと、観光に出発。独特の家並みが残っている地区までは、歩いてもすぐだ。南イタリアの陽光は、10月の午後5時でもまばゆい。白い壁とグレーのスレート瓦のトウルッリが青空に映えて、思わずカメラのシャッターも何度も押してしまった。 アレキサンドロさんは、白川郷に行ったことがあるという。合掌造りの囲炉裏でくつろいでいる写真を見せてくれた。白川郷とアルベロベッロは姉妹関係を結んでいる。NHKがここの番組を制作したときに、ロケにつきあった。そのお礼に、白川郷に招待されたという。「私の名前は白川よ」と言ったら、大げさに喜んだ。
わずか450b四方に、1500軒ものトウルッリが建っている。16世紀に貧しい農民達が移住し、石灰石を積み重ねただけの簡単な住まいを作った。今は白い漆喰が塗ってあるが、初期は石灰石がむき出しだったらしい。これがトウルッリである。簡単に屋根が外せる構造になっていて、税金の検査官が来ると屋根を壊して「これは家ではない」と、税金を免れたという。それほど貧しかったのだろう。 まず住宅街のアイア・ピッコ地区を歩いた。実際に人が住んでいるという話だが、歩いているのは観光客ばかりだ。でも、庭でトランプなどして楽しむお年寄りたちもいて、単なる見せ物小屋でないところが気に入った。アレキサンドロさんの親戚の家を見物させてもらったが、中に入るとヒンヤリして快適だ。 漆喰で塗り固められた真っ白の壁には、疫病除けや部屋を明るくする意味がある。スレートの屋根に白く描かれたマークは、キリスト教のシンボルや占星術のシンボルなど模様はさまざまだ。模様の意味を知ったうえで散策したら、もっと楽しかったにちがいない。
夕食の時間まで自由行動だったので、ツアーの仲間大勢で回った住宅街アイア・ピッコ地区と、土産物屋が並ぶモンティ地区を、再度ふたりだけで歩いてみた。商店街では日本語が上手な店員が多く、日本語の看板も目立ち、日本人がたくさん来ていることがわかる。日本人の若い女性も客引きで道路に立っていた。イタリア人と結婚して土産物屋を経営しているそうだ。「中も見せてあげますよ」と言われたが、何も買わないのはまずい。すでにスパゲッティなどを別の店で買った後だったので断ってしまった。1ヶ月半後にここを訪れた友人は、その日本人に誘われて家の中を見せて貰ったという。惜しいことをした。 教会も同じ作りになっていた。町全体が建物博物館みたいで、「おとぎの国」という形容があながちウソではない町だった。 同行の年輩女性が、きのうから調子をくずし、マテーラやアルベロベッロ見物のときも休んでいた。私達の案内をすませたアレキサンドロさんは、彼女を病院に連れて行った。時間外ではあるし、病院の費用はいくらかかるのか。健康保険制度はないと聞いているし、あったとしても旅行者には使えない。 |