南イタリアの旅5
 シチリア島へ上陸

2006年10月7日(土)−4日目

 アルベロベッロに1泊した翌朝、食事前に再びとんがり屋根トウルッリの集落を見に行った。街はまだ動き出していなかったが、思わぬ被写体に出会えた。

 キャベツ畑で髭もじゃの農民が、トラクターを運転している。そこには、おあつらえのように、トウルッリの原型でもある小屋(左)が建っていた。石灰岩がむき出しな壁が本物っぽい。今回の旅でのベストショットになった。

 8時半にホテルを出発。ブーツのかかとから、つま先までバスで移動する。乗り物ばかりでもさほど飽きなかったのは、初めての光景が珍しい以外に、イオニア海がきれいだったからだ。コゼンツアという街で昼食。


 昼食後はティレニア海が見えてきた。ブーツのつま先の部分に近づいている。つま先のヴィラ・サン・ジョバンニ港からフェリー(左はフェリーのデッキで撮影)に乗ってシチリア島に上陸した。

上陸地のメッシーナからバスで1時間、ジャルディーニナクソスというリゾート地に到着。

 ホテルの背後にはイオニア海、前面には活火山エトナ山(3340b)がそびえていた。活火山としてはヨーロッパ最高のエトナ山からは噴煙があがっている。ポンペイ遺跡を見てきた直後だけに、火山灰が私たちを急襲することをチラと想像してみた。こんなことを考えていたら旅なぞ出来やしないと思い直し、夕食前にホテル付近をそぞろ歩きした。
<ジャルディーニナクソスのルソット泊>

10月8日(日)−5日目

シチリアは、以前から憧れていた島だ。地中海を挟んで200qぐらいしか離れていないチュニジアを訪れてからは、尚更その気持ちが強くなった。たくさんの国が地中海の覇権をめぐって攻防を繰り返し、東西文化が凝縮していると聞いている。シチリアという響きもいい。シシリーという英語もいい。マフィアの島と言われるわりには、明るそうだ。

1年中温暖な島で知られているが、緯度は仙台から宇都宮ぐらい。緯度だけで言うと寒いのだ。九州の7割ほどの面積に500万人が住む地中海では最大の島である。イタリアは南北の経済格差が大きいと言われるが、南部のシチリアは貧しくて、2番目に失業率が高い。1番目は長靴のつま先の地域だという。

2000年にわたって地中海の統治権争いに巻き込まれてきたが、1860年にイタリアが統一したときに、イタリアに組み込まれた。

シチリアとマフィアは切り離せない、もちろん私たち旅行者はマフィアの片鱗すらうかがうことは出来なかった。幸いと言うべきだが、恐いモノ見たさという点では、残念でもある。

1980年代に入ると、マフィアの大規模な撲滅作戦が行われた。大ボスがブラジルで逮捕されたのに続き、476名のマフィアが逮捕された。

 しかしマフィアもこれで引っ込んではいない。90年代には自分たちを執拗に追いつめる判事を残忍なやり方で一掃した。1992年には、反マフィアの象徴的人物の判事が空港へ向かう高速道路上で殺された。高速道路には、彼の死を悼む碑があった。警察とマフィアの攻防はいまだに続いている。

 朝食前に、ホテルに面している海岸を散歩した。ちょうど地平線に太陽が昇ってくるところで、私は普段は早起きなどしないので、こういうシーンにはめったに会えない。釣り人がいたので彼を入れて、何枚も写真を撮った。

 きのうのアルベロベッロでも、早朝に良い写真が撮れた。「早起きは三文の得」はほんとうかもしれない。
(2007年10月25日 記)

感想・要望をどうぞ→
南イタリアの旅1へ
次(タオルミーナ)へ
ホームへ