中国シルクロードの旅 5
ペゼクリフ千仏洞とウパール村

2005年4月21日(木)-4日目

トルファン郊外(シルクロードの旅1の地図参照)の高昌故城に次ぐ観光は、ペゼクリフ千仏洞(左)である。新彊ウイグル自治区に数ある仏教石窟のひとつ。

 6世紀の麹氏高昌国の頃から彫り始め、最盛期は、西ウイグル帝国がトルファンを支配していた9世紀。今のウイグル族はイスラム教信者が多いが、当時は仏教を信仰していた。

 現存する石窟のほとんどは、この時期に作られたものだ。見学した石窟は、17・20・27・31・33・39の6窟。ここも敦煌と同じく、入口でカメラを預けなければならず、内部の写真は撮れなかった。

イスラム教がトルファンに浸透するにつれ、偶像は破壊された。更に、清朝末期に外国人探検隊に剥ぎ取られたので、一部の壁画が残っているにすぎない。公開していない他の窟は、ガイドによると「お見せするようなものは残っていない」。敦煌でも外国人に持ち去られたが、ここよりずっと保存状態は良かった。敦煌がイスラム教徒に侵略されなかったからだ。


 千仏洞の入口に、三蔵法師と孫悟空一行の像があった。玄奘三蔵は、近くの高昌故城に2ヶ月も滞在していたのだから、訪れた可能性は充分ある。

 「西遊記」は、三蔵法師が、孫悟空・猪八戒・沙悟浄と共に、さまざまな障害を乗り越えて天竺に至る長編小説である。

 三蔵法師は、629年に唐を出発、17年かけてインドから多数の経典を持ち帰り、翻訳した実在の人物だ。孫悟空は、架空のお猿さんにすぎない。でもこの群像では、まるで主役のように正面に大きく陣取っている。

2時間40分ほどで、ウルムチに戻った。ウルムチには最終日にまた寄ることになっているが、しばしウルムチのガイド・魏さんとお別れ。魏さんはしきりに「天気を祈っていますよ」と言っていた。

ウルムチ発(20時35分)→カシュガル着(22時20分)  成田出発以来、毎日飛行機に乗っている。乗っている時間は短いのだが、搭乗時刻の1時間前には行かねばならないし、発着が遅れる。連日の飛行機の移動はつらい。

カシュガルは、新彊ウイグル自治区の西端、中国の最西端に位置する。パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギスはもうすぐだ。 <カシュガル賓館 泊>

4月22日(金)―5日目

カシュガルのガイドは、ウイグル族のアブド(右)さん。手帳に書いてもらった正式な名前はアブリミティ(阿布力米提出)。漢民族の名前ではないし、顔つきも違う。本職はカシュガル師範大学の先生。岡山理科大学に留学していただけあり、風貌からしてインテリだ。

今日はホテルを8時半に出発し、カラクリ湖へ向かう。カラクリ湖までは200qだが、道が悪いので、休憩を含め6時間もかかった。バスの中で、カシュガルの概要を聞いた。

人口38万人のうち、82%はウイグル族。ウイグル族は、イスラム信者がほとんどで、アブドさんも奥さんもイスラム教徒だが、お祈りはしない。奥さんはスカーフもかぶらない。「彼女は公務員だから」の口ぶりが、「インテリはそういうことをしないのだと」いう感じに受け取れた。

カシュガルの学校は10時から2時、昼休みは家に戻り、午後は4時から7時半まで。中国の標準時は東経120度で、北京より更に東。カシュガルと北京の経度は40度も違うので、3時間弱の時差があってしかるべきだが、中国全土で時計はひとつ。

 実体にそぐわないので、新彊ウイグル自治区では、北京と2時間遅れのウイグル時間を非公式に使っている。ウイグル語専門のテレビは、ウイグル時間を表示している。学校の開始時刻10時は、ウイグル時間では8時。昨日、夜の10時半頃に、たくさんの子どもを見かけたが、夜遊びでもなんでもないのだ。

車の保有率は2%。北京では3人に2.5台だから、経済格差はあきらかである。テレビがない家もあるという。中国では一人っ子政策だが、新彊自治区は2人まで許されている。魚はほとんど食べない。アブドさんは、25歳になってはじめて魚を食べたとか。羊肉が85%、牛肉は10%、鶏肉が5%と、肉と言えば羊肉なのだ。

ウルムチのガイド・魏さんが、天気を心配してくれた訳がわかった。今日の行程は、天気が悪いと、どうしようもない。まず周囲の山が見えない。大雨が降ったら、舗装のない道路は、バスが通れなくなる恐れもある。「天然マッサージ道」と言われる悪名高い道路だった。ガイドブックには悪いことは書いてないから、知らなかった。もっとも、新しい道路を建設中だから、天然マッサージは死語になるかもしれない。

アブドさんは、「春は天気が悪いので、こんなに良い日はめったにない。秋がベストシーズンです」と言っていた。私たちはまれにみる幸運に恵まれたことになる。

途中で休憩したウパール村は、忘れられない。トイレ休憩で立ち寄ったのだが、トイレの汚さは言うまでもない。それでなくても埃っぽいのに、馬車が駆け抜けていくと埃が舞い上がる。馬、牛、驢馬が通る。野菜や果物が、覆いもなしに屋台にのっている。羊肉は店頭にぶら下がっている。焼きたての丸いパンもむき出しだ。埃を気にする人などいないのだろう。「埃で死ぬ人はいない」と聞いたことがある。

 時間の許す限り、写真を撮った。ずべてを掲載できないので、上の2枚を。左写真は、子牛を買ってきた帰り。右写真は、羊肉のシシカバブを用意しているところ。(2006年3月17日 記)

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