雲南・北部ベトナム少数民族街道の旅 5
 国境の町・河口へ

2007年2月15日(木)-6日目

 今日も金平近辺をまわる。金平の自由市場を見学後、ホテル前にあるレストランで昼食。金平に滞在中の食事は、すべてここのレストランで摂った。

 午後は、人口200人ほどの小さな村・ミャオ族の村へ行った。ミャオ族は、鮮やかなプリーツスカートをはいているのでわかりやすい。この村には、放し飼いの犬がたくさんいる。キャンキャン吠えるのも怖いし、狂犬病も恐ろしい。北京などではペット犬を飼ってはいけないのに、山奥とはいえ、なぜこんなに犬が多いのだろう。なんと!この村の人は、食べるために犬を飼っているのだった。

ミャオ族 ミャオ族 ゴム林
ミャオ族は、年寄りもカラフルなプリーツスカートをはいている。 若い人のプリーツスカートもカラフルだ。右端にいる犬も食用にされる。 天然ゴムの林。

 もうりゅうの自由市場へ。ここも民族衣裳の展示場みたいなものだった。旧正用の赤い札を売っている店が、何軒もあった。

 ゴム林で写真ストップ。樹皮につけられた切り込みから、白い樹液がすこしずつ出で、小さなバケツに溜まるようになっていた。バナナ畑でも写真ストップ。

正月用の赤い札 籠の中の鶏 宴会中
正月用の赤い札を売っている。 籠の中には生きた鶏が入っている。 旱タイ族の村で宴会中の若者。

つり橋を渡って、金水河村に入った。旱タイ族の村ということだが、現代風の家が多かった。ゴムやバナナの収入があり、裕福のようだ。お酒を飲みながら歓談していた若い男女が、私たちをみると、椅子を用意して歓待してくれた。木曜の昼間に飲み会も変だと思うが、一仕事を終えた後かもしれない。考えてみると、少数民族街道の旅で、若者に出会ったのは初めてだ。ジイチャン、バアチャン、カアチャンの3チャンと子供ばかりがいたような気がする。

 この村に近い中越国境の橋を見に行った。目の前はベトナムだ。中国側の橋は中国で作り、ベトナム側の橋はベトナムが作った。ドッキングはうまくいったのだろうか。<金平の正豊大酒店 泊>

2月16日(金)-7日目

 今日は国境を越えてベトナムに入る。ホテルから国境までは200kmほどだが、道が悪いし越境手続きもあるので、朝7時に出発した。国境の町・河口までの道は、ひどいものだった。高速道路を建設中なので、その土砂やゴミが私たちの通る道路にはみ出している。天井に頭がぶつかりそうな、ガタガタ道だった。ハンドルさばきを間違えば谷底だ。夫は「案外こういう場所では事故は起こらない」と悠然としていた。紅河の流れ・バナナ・ゴムの木・パイナップルがせめてもの慰めである。

 新街という町でもひどい目にあった。狭い道路の両側に露店が出ているので、バスはすれ違えない。お互いの車の存在を無視して突っ込むので、どうにもならなくなる。中国の運転手には譲り合いの精神などないのだ。譲り合えば、スムーズになることが何故わからないのだろう。交通整理の警官が、いるのかいないのか。

 やっと混雑を抜けたすぐのところに、検問所があった。検問所には係官が5名以上いたが、交通整理に手を貸すでもない。露店のおばちゃんたちに荷物をよけるよう頼んだのは、添乗員のSさんだ。検問所のお役人の我関せずの態度に、中国の現実を見てしまった。

 1時半ころ、国境の町・河口(雲南・北部ベトナム少数民族の旅1の地図参照)のレストランで昼食。河口は今までめぐってきた少数民族の村が夢かと思うような近代都市だ。民族衣装を着ている人は見かけないし、近代ビルが林立している。

河口 携帯電話の専門店 国境の町・河口
明るいビルが林立している河口。 手机(携帯電話)の専門店もある。 中国側の国境・河口ここから両国を結ぶ橋が始まる。


 帰国後すぐの3月7日の朝日新聞に「中越国境共栄の町」「雲南省・河口 貿易の前線基地」「市場求め商人往来」と、河口の記事が大きく載った。中国各地から新たな投資先を求める商人が集まる一方で、中国市場を狙うベトナム企業の進出も目立つのだという。近代ビルの林立にはこうした背景があったのだ。

 中国のガイド3人と国境事務所でお別れ。チーフの張さんは日本語は達者なのだが、おとなしすぎて話がおもしろくない。他のガイドは日本語が話せない劉さんと、日本語がおぼつかない岳さん。そういう不満を胸にしまって、笑顔で別れた。 (2008年4月16日 記)

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