雲南・北部ベトナム少数民族街道の旅 6
 ベトナムのサパ

2007年2月16日(金)-7日目

中越国境の橋 中国国境の町・河口で手続き後、長さ200bの中越大橋(左)を歩いて渡った。大きな荷物をかついだ、すげ笠姿のベトナム人も大勢歩いていた。中国の雑貨・日用品・果物を仕入れた帰りだという。

 橋を渡り終わるとベトナム国境の町・ラオカイだ。そこで、ベトナムガイドのラムさんに6日ぶりに再会。笑顔も見せないので怒っているのかと思ったが、単に愛想がないだけだ。入国手続きは30分もかかった。それでもラムさんは「お金を握らせたので、早くなった」と言っていた。ベトナムが社会主義の国だと、あらためて思った。

それに比べ、ベトナム人は通行証を見せるだけで簡単に通過していた。中国とベトナムは1979年に中越戦争があったものの、今の関係は良好で、通行証だけで簡単に出入国ができる。

 ラオカイを出発したバスは、あえぎあえぎ山道を上っていった。午後4時半ころサパのホテル到着。サパはベトナムを植民地にしていたフランス人が避暑地として開発した町。どおりでリゾート風の素敵なホテルだったが、あとでとんでもないホテルだと気づく。両隣の話し声が内容まで聞こえるのだ。それはともかく、ベランダからの山あいの景色は素晴らしい。

 夕食までの自由時間に町をぶらついた。欧米人の姿が多い。フランス人・オランダ人・オーストラリア人・アメリカ人などが年々増えているそうだ。

 歩いていると、紺色ベースの民族衣装を着たオバチャンたちが擦り寄ってきて、刺繍のバッグ・帽子・織物をを売ろうとする。織物も刺繍の色合いもセンスがよくて、いくつでも欲しくなる。老いも若きも大きな金属製のイヤリングをしていて、オシャレ。

紺色ベースの衣裳で、小物もセンスがいい。 織物やバッグを路上で売っている。 大きなイヤリングをしている。同行の小松喜晴さん撮影。

 露店の人から買うほうが安いとは思うが、言い値で買ったら損をするのが常識だ。交渉が面倒なので、専門店で刺繍の小物バッグをたくさんゲット。3日間サパに滞在するので、あとで買えばよさそうなものだが、なにしろ今日は旧正月の大晦日にあたる。明日から3日間の正月休みに、店を開けるかどうかわからないのだ。 

夕食は高台にあるレストランへ。久しぶりのベトナム料理を楽しみにしていたが、やはりホーチミン市などとは違う。硬い鹿肉などの山奥料理だった。<サパのチャウロンホテル 泊>

2月17日(土)−8日目

 今日はテト(旧正月)の初日。日本で言えば元旦だが、ホテルのビュッフェスタイルの食事は通常通りだった。正月らしさを敢えて探すとすれば、桃の花と金柑の木と風船がロビーに飾ってあることぐらい。ホテルの従業員と、Happy NewYear!を交わして正月を味わった。

 今日からはベトナムの少数民族を訪ねる。まず、黒モン族の村・カットカット村へ。モン族は中国のミャオ族と同じだという。国境のない時代もあり、昨日までの中国雲南省とは陸続き。同じ民族が複数の国にいても不思議はないのだ。

 棚田があるだけの山奥の村に、場違いな立派な散歩道が出来ている。政府が少数民族の村をハイキングコースとして売り出すために、道路を整備した。私たちもそのコースを1時間半ほど歩いたが、欧米人にたくさん出会った。レンタルオートバイで来ている人もいる。

これまでたくさんの村を訪れた中で、ここは雲南省の黒イ族の村と並んで、最貧村のように感じた。胸が締め付けられるほど貧しかった。訪れたのは朝の9時ころ。正月の食卓を囲んでいても良さそうな時刻だが、バスを下りるや、数人の女性たちに囲まれた。ここでも買い好きの○さんが、たくさん買ってあげたので、私は彼女らの標的にならないですんだ。

正月だというのに汚れた服を着ている男の子。 笑いかけても、この女の子は無表情のままだった。 棚田と黒い牛。

 訪れた1軒は、山上憶良の「貧窮問答歌」を思い出すような家だった。家の主は所在なさそうに竹筒でタバコを吸っていて、子供らはうつろな目をしていた。晴れ着を着ていないし、朝ご飯を充分食べたとも思えない。母親は、民芸品を売っている集団の中にいたのだろう。(2008年5月2日 記)


感想・要望をどうぞ→
雲南・北部ベトナム少数民族街道の旅1へ
次(サパ近郊の村)へ
ホームへ