スイスの旅2
 ハイジの里・ルツエルン・ウイリアムテル特急

2009年7月11日(土)−3日目

 リヒテンシュタインからバスで30分足らずで、マインフェルトスイスの旅1の地図参照)に着いた。人口2400人の小さな村だが、ヨハンナ・シュピリ作「ハイジ」の舞台になったことからハイジの里として有名になった。「ハイジの泉」には、ハイジと山羊が水を飲んでいる石像がある。ブロンズ像ほど立派ではないが、「スイスの子ども達が小遣いを出して作ったんですよ」と添乗員のTさんは強調する。

ハイジの泉からハイジハウスまでの道は、カウベルをつけた牛がのんびり草を食み、野の花が一面に咲いていた。旅の3日目にして初めてスイスらしい光景に出会えた。牧草地などほっておけばいいように思うが、牛が食べ尽くした草のあとの手入れも必要だし、糞も回収して回らねばならない。牛が良い乳を出したり観光客がきれいだなと思うような牧草地にするには、それなりの努力をしているようだ。

ハイジの石像 ハイジハウス ハイジの絵本
スイスの子ども達が小遣いをだして作った石像。 おじいさんとハイジが住んだハイジハウス。 売店にはハイジグッズばかり。絵本も各種並んでいる。

「ハイジハウス」は、ハイジとおじいさんが冬の間に住んだ家で、今は博物館になっている。お話の主人公が住んだ家だが、素直にそれを聞き入れてしまうほど、物語とロケーションがぴったりである。

1974年にカルピス劇場で放映していた「アルプスの少女ハイジ」は、大人が見ても面白いアニメだった。そのアニメのハイジに比べると、売店で売っている人形や絵本は可愛くないので、何も買わなかった。自分の子どもと一緒にこのアニメを見ていた仲間がたくさんいて、みんなでテーマメロディを口ずさんだ。

カペル橋

夕方6時前にルツエルンスイスの旅1の地図参照)のホテルに到着。6時でもこの時期のヨーロッパは陽が高い。ホテルが中心部にあったので、カペル橋(左)などを散策した。橋のたもとに教会(チャペル・カペル)があったことから、カペル橋という。

 23年前に訪れた時は、美しさにわけもなく感動したことを思い出す。橋の欄干に赤い花が飾ってあり、ロイス川には白鳥がいる。この風景は変わらないが、前に見た橋は1993年の火事で焼けてしまい、ほとんどが修復したものだ。焼け焦げがあり、煤けている部分がオリジナルの橋だ。

今日の夕食は自由食。要するに自分のお金で食べなさいということ。ツアーでいちばんイヤなのは、みんなでそろって食事をせねばならないことだ。その点、自由食がときどき入るのは有り難い。レストランの食事に飽きてしまう私たちは、ほとんどスーパーマーケットで調達する。今日も果物・サラダ・調理パン・牛乳を買った。              <ルツエルンのフローラホテル泊>

7月12日(日)-4日目

今朝は雨が降っている。この旅で初めての雨だ。午前中は、日本人の「ちえこさん」のガイドで市内見物。まずフィーアバルトシュテッテ湖畔へ。湖畔も対岸も靄っている。ところが急に対岸の山が、まるでスポットライトを浴びたように白く輝いた。地元のちえこさんまで「あら!きれい」と声をだしたほどの雪山だった。これから飽きるほど雪山を見ることになるのだが、少し前まで何も見えなかっただけに、この白い峰は印象に残った。ベルナーオーバーラントの山だという。 

次に氷河公園の隣にあるライオン記念碑を見に行った。氷河時代の岩に彫ってあるライオンは脇腹に槍がささり瀕死状態。このライオンの顔はいつ見てもリアルだ。

 フランス革命のときに、ルイ16世とアントワネットを守って命を落とした傭兵786名を悼んで作られた。今のスイスは、観光や精密機器や食品産業(ネスレ・マギー・クノール)が盛んで豊かな国だ。でもフランス革命当時のスイスは、他の国に出稼ぎしなければならない貧しい国だった。今、バチカン市国で鮮やかな衣服を着ている衛兵もスイス人。当時の名残である。

白い峰 ライオン記念碑 シュプロイヤー橋
ガスっていたが急に白い峰が見えた。 スイスの傭兵を悼んで作られたライオン記念碑。 カペル橋と対になっているシュプロイヤー橋。

次は旧市街を歩いて見て回った。カペル橋は昨日見ておいて正解だった。雨模様だから綺麗な写真が撮れない。「この橋は湖から襲ってくる敵から守る砦だったのです」と、ちえこさんが説明した。確かに8角形の見張り塔がついている。

 旧市庁舎・鹿広場・ワイン広場・教会・ゲーテが泊まったホテルやワグナーが食べたレストランなど見ながら、シュプロイヤー橋に着いた。ここもカペル橋に劣らず古い木橋で趣がある。カペル橋が東の砦で、シュプロイヤー橋が西の砦。 

11時に蒸気船に乗り、フィーアバルトシュテッテ湖のクルーズに出発した。ルツエルンからフリューレンまで2時間半の船旅である。長たらしい名前のこの湖は、フィーアは「4」バルトは「森」シュテッテは「場所」の意味で、4つの森に囲まれた湖という意味だ。ランチは船の中でとった。

ルツエルンの駅 クルーズ船からの景色
ルツエルンの駅。この向かいからクルーズに出発。 クルーズ船の中から見た景色。。

午前中降っていた雨は、クルーズが始まる頃には完全に上がっていた。急斜面の森を切り開いた草原の緑が、雨上がりゆえに殊更輝いている。草原が荒れていないのは、斜面に点在する家の住人が手入れするのだろう。「車の道があるようには見えないけど、どうやって生活しているんだろう」とみんなで話したが、聞く人もいないので謎のままだ。

ルガーノ駅

今日は特急のひとつウイリアムテル特急にフリューレンから乗車。ベンリツオーネで乗り換えてルガーノ駅(左)まで。乗り換え時間も含め、2時間半の列車の旅である。この旅のうたい文句は「4大特急と4大名峰の旅」だが、特急とは名ばかりで、中には自転車より遅い列車もある。「4大鉄道の旅」と言ってほしいものだ。

ドイツ語で書いてある駅の表示が、途中からイタリア語に変わった。スイスの公用語はドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4つだが、同じように民族もドイツ系が65%、フランス系が18%、ロマンシュ系が1%、その他が6%。

 駅の表示がイタリア語に変わったということはイタリア語圏に入ったということだ。イタリア語圏に入ったとたん、建物まで汚い。日本に比べ汚いことはないのだが、あまりにもきれいなドイツ語圏のスイスを見てきただけに違いは顕著だ。今日宿泊するルガーノスイスの旅1の地図参照)もイタリア語圏スイスである。

 ホテルに着いたのが5時過ぎだったので、眼下に見えるルガーノ湖まで下りてみた。思ったより急坂で、行きは楽だが帰りがきつい。特徴のない湖だったので損をしたような気分だ。旅に出ると2度と来られないような気がして、張り切ってしまう悪い癖だ。      
                       <ルガーノのパルコパラディッソホテル泊>   (2011年3月16日 記)

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