スイスの旅4
 氷河特急とマッターホルン

2009年7月15日(水)-7日目

 今日はサンモリッツからツルマットまで氷河特急で移動する。サンモリッツを出発したのが9時19分。ツルマット到着が16時52分。およそ8時間も列車に乗ったことになる。

 平均時速は34`だから、推して知るべしの特急だ。最低地点のクール駅が585b、最高地点のオーバーアルプ峠が2033b。標高差が1500bもあるので速く走れないのか、景色を楽しめるようにわざとゆっくり走っているのか。いずれにしろ遅い。

 4大特急の中では、この氷河特急がいちばんつまらない路線だった。氷河特急は名ばかりで、氷河はほとんど見えない。7つの谷・291の橋・91のトンネルを通ると誇らしげにアナウンスしているが、橋やトンネルが多いからとて、乗っている者にとっては、おもしろくもなんともない。いずれにしても8時間は長くて退屈。同行者と「都議選はどうなるだろう。総選挙で民主党が勝つだろうか」など、すっかり日本人してしまった。

 ちなみに、この氷河特急が脱線して日本人が亡くなったのは1年後の2010年だった。2等車の方は無事で、1等車の乗客が惨事に巻き込まれたというから皮肉なものだ。

8時間も乗りっぱなしだから、昼食は車内で摂った。オリエントエクスプレスのような豪華な食事ではなく、粗末な食事だったが、オバサン達の愛想いいサーブが印象に残っている。降車時に、氷河特急乗車証明書もくれた。いまどき、こんな証明書を喜ぶ大人がいるのだろうか。

氷河特急の車窓から見た二人乗り自転車 スーツケースを下ろしに来てくれたホテルマン マッターホルンと大文字山のレリーフ


 ツルマットの駅構内まで、ホテルの従業員が迎えに来てくれた。重いスーツケースを下ろしてホテルまで運んでくれる。自分でスーツケースを降ろさねばならない列車に何度か乗ったことがあるが、観光立国のスイスならではのサービスだと思う。 

サンモリッツでは雨が降っていたが、ルマットスイスの旅1の地図参照)に着いたときは、太陽がさんさんと降り注いでいた。明日の天気がどうなるのか分からない。ホテル到着後すぐに、マッターホルンが見えるマッターフィスパ川にかかる橋まで行ってみた。この川の水は、氷河が溶けた水なので白っぽい。

 ツエルマットは日本人で溢れている。今まで日本人にはほとんど出会わなかったが、ここまでくると様変わりだ。橋の上にも数人がいた。「ここで2時間近く粘っているのよ。やっと見えだした。でも明日は絶対に見えるそうよ」など情報交換。頂には雲がかかっていたが、写真で見慣れたマッターホルンが目の前に見えた。本物のマッターホルンを見たのは初めてだが、初めてのような気がしない。

ルマットの町で、妙高高原との姉妹都市記念碑、京都との姉妹都市記念碑を見つけた。京都の大文字山とツルマットのマッターホルンを対比させての姉妹都市だという。これって少し図々しいような気がする。

 夕食はチーズ料理のラクレット。じゃがいもに溶かしたチーズがかかっていて美味しかった。夕食後、再びマッターホルンを見に行った。8時を過ぎていたが、くっきりと姿を見せてくれた。明日の上天気を予想させるような空だった。                        <ツエルマットのシュバイツアーホフホテル泊>

7月16日(木)-8日目

朝焼けのマッターホルンを見たくて、5時に起きて、きのうの橋の上まで行ってみた。日の出の時間が過ぎてもなかなか赤くならない。「もう太陽が差さないかもしれない」と5時50分ころに、引き上げてしまった。悔しいことに、6時ころに赤くなったらしい。 

ホテルから徒歩数分にある鉄道の駅に向かった。この時刻7時45分は、雲1つない青空。どうか展望台に着く前に雲に隠れたりしませんようにと、祈るような気持ちで登山電車に乗った。右側の座席に座るとマッターホルンがよく見えるという。私たちのグループは、数分違いで全員が右側に座れた。専門ガイドがついているグループが回りにいた。そのガイドが言うには「今日はめったにない上質の天気です」。

8時に出発した電車は高度をあげていく。マッターホルンの威容がどんどん迫ってきてツルマットの村が遠くになる。マッターホルンは姿をすこしずつ変えつつ、乗っている間、ずっと楽しませてくれた。35分後にゴルナーグラート駅に到着。

駅前広場からもマッターホルンの東壁が間近に迫ってくるが、少し坂道を登った標高3130bのゴルナーグラードの展望台は360度のパノラマが広がっていた。ガイドブックによれば、スイスでお勧めナンバー1の展望台である。マッターホルン(4748b)ばかりでなく、モンテローザ(4634b)など名峰が連なっている。見渡す限り山と氷河と湖である。

逆さマッターホルン マッターホルンの壁 花と山を見ながらのハイキング

ゴルナーグラートの展望台には1時間40分いたが、マッターホルンの頂はいちども雲にかくれることがなく、恥ずかしくなるぐらい東壁全体をさらしていた。スイスに来てから7日目。雨降りの日もあれば、曇り空もあった。今日が最高の天気である。運が良いと言うしかない。天気が悪ければ、なんにも見えないこともあるのだ。なかには4度目のマッターホルンで初めて見えたという人もいた。

登ってきたと同じ登山電車の乗り、途中のローテンボーデン駅(2815b)で下車。そこからリュフェツベルク駅(2582b)まで1時間40分のハイキングをした。天気は良し、常にマッターホルンを見ながらの景色は言うことなし、道の両側に咲く野の花はかわいらしい。何時間歩いても疲れそうにない道だった。歩くにつれてマッターホルンの北壁も見えてきた。

理由はわからないが、マッターホルン登頂の歴史を見ると、全員が北壁を登っている。東壁に登った話は聞いたことがない。ドイツのシュミット兄弟が1931年に北壁初登頂。日本人の男性グループは1965年が初めだ。1967年には今井通子さんと若山美子さんが成功。長谷川恒夫さんは1977年に厳冬の北壁を単独で登頂している。

 長谷川さんは、かつて隣人だったU家の息子と山仲間である。隣の息子が谷川岳で遭難死したときに、真っ先に救助に向かっている。もっとも長谷川さんも遭難して亡くなり、今はいない。

このハイキング途中の2ヵ所で、逆さマッターホルンを見た。あまりにきれいなので、何か物足りない。絵はがきと同じなのだ。「中腹に雲でもなびいている方が趣があるのに」など、ぜいたくなせりふをつぶやきながらシャッターを押した。

リュフェツベルク駅から登山電車でツエルマットへ。昼食後は自由時間だが、全員がスネガ展望台まで登った。町からわずか3分の地下ケーブルで標高2288bまで運んでくれた。高低差683メートルを3分で登るなど信じられない。

 スネガ展望台からは、マッターホルンや午前中に行ったゴルナーグラート展望台も間近に見えた。午前中は雲がなかったが、午後になったら雲が多くなった。

午後のハイキングもマッターホルンを正面に見ながらの下り道。午前中のハイキングは山道だったが、午後は、石葺き屋根の家(左)が連なる村やカフェがある村など小さな村に寄りながら歩いた。「まさにハイジの世界ね」「どうしてこんなに美しいんだろう。美しすぎる」などの会話を交わしながら、夢のような世界を楽しんだ。

 ツエルマットに下りてきて、マッターホルンがよく見える例の橋に又行ってみたが、まだきれいな姿を見せていた。今日も自由食の日なので、夕食の集合時間を気にしなくていい。ホテルに入るには間があるので、何度も通ったメイン通りを飽きずに歩きまわった。ギフトショップ・ホテル・レストラン・スポーツ用品店のどれもが近代ビルではなく山小屋風の建物。どの店も出窓にきれいな花を飾っている。

 一般車は村に入れず、たまに電気自動車が通るぐらいだから排ガスに悩まされることもない。

 もちろん道路にはゴミ1つ落ちてない。ゴミが落ちていない理由はわかった。専門の掃除係(左)がしょっちゅう巡回しているだけでなく、散水車がゴミ箱に水をまいて臭いも消している。ツエルマットは、観光客に気分良く過ごしてもらおうとするホスピタリティにあふれていた。

 帰国後に「どこにもゴミが落ちていないわね」とスイス人のマリアンナさんに話したら「それぞれの区域に専門に掃除する人がいるのよ。ちょっとでも草が伸びると切りそろえているし、少しやりすぎ。主人(日本人)なんか、スイスはきれいすぎてつまらないと言ってるのよ」。

 たしかにスイスには、ごった煮のようなワクワク感と面白さはない。でも、私がこれまで垣間見た国では、食べ物さえ満足に得られないばかりか、常に戦火におびえながら生活している人も大勢いる。「きれいすぎてつまらない」など言ったら罰があたる。    <ツエルマットのシュバイツアーホフホテル泊>  (2011年4月16日 記)

感想・要望をどうぞ→
次(ベルンとユングフラウ展望台)へ
スイスの旅1へ
ホームへ