スイスの旅6
 ユングフラウ山麓の村からシャモニーへ

2009年7月18日(土)-10日目

大荒れの天候だった日の後半を書いている。ハイキングが中止になったので、ウェンゲンまで登山列車で下りた。ホテルにいても退屈なので、傘をさして村を歩き回った。

 ユングフラウの山麓の村といってもさまざまだ。観光客で賑やかなグリンデルワルトと違い、ウェンゲンは観光地っぽくない。チーズ屋さん・パン屋さん・土産物屋のどれもがこぢんまりとして可愛らしい。雨が降っているせいもあるが、歩いている村人などいない。「腰を曲げたおばあさんが歩いていたら良い写真になるのに」と勝手な事を言いながら歩を進める。

ホルンの練習

雲の動きが速くなり晴れ間が見えだした頃に、ホルンの音がどこからか響いてきた。「教会の方だ」とねらいを定めて高台にある教会まで急いで登って行くと、中年男女の2人がホルンを吹いていた(左)。小さい村のことだから村中に響く。「6時にあわせて教会の人が吹いているんだろう」と勝手に解釈していたが、後でそうではないことが分かった。

 道具をしまいかけた頃を見計らって、話しかけた。「明日この村の広場でホルン演奏の大会がある。だから練習している。きれいな衣装を着るから、ぜひ見にこい」と誘われた。「明日は朝出発するから残念だ」などしゃべりながら、松の木製のホルンの細部も見せて貰った。

 男性の方は10年前に日本に行ったことがあるという。島根で大会があり東京でも演奏会をした。「松江はきれいな町で皆がフレンドリーだった」となつかしそうだった。スイスの人に、町がきれいだと言われた松江。

雨上がりの村 牧草地が広がる村 ベランダから見たユングフラウ
雨が上がったばかりの村 午前中の雨や雪がウソのように晴れ上がった ベランダから見たユングフラウ

ホテルに戻ってパジャマに着替えているときに、添乗員さんから電話。「ユングフラウが見えるんです。今からハイキングに行きましょう」。夕方の7時だが、天気が良くなった今はまだ充分明るい。ひとことで言うと、前に見た「ハイジの泉」付近や「ハイジ花の散歩道」よりも「これぞハイジが暮らしていた村」と、誰もが思うような景観が続いていた。

 ワールドカップを開催した時のゴール地点も残っていた。冬にはスキー客で賑わうそうだ。絶景ポイントでは眼下には緑ゆたかなU字谷、見上げると青空に真っ白のユングフラウ。午前中の悪天候がウソではないかと思うほど白い峰が見えた。雲に隠れている時は気づかなかったが、部屋のベランダからもユングフラウがよく見えた。     <ウェンゲンのスターホテル泊>

7月19日(日)-11日目

ウェンゲン村からインターラーケンへ。インターラーケンからモントルースイスの旅1の地図参照)まで約2時間、パノラミックエクスプレスに乗った。

レマン湖畔で昼食をとったときに、近くにエビアンという町があることに気づいた。日本にも輸入されているエビアン水の産地はここだったのだ。帰国後すぐ、ゴルフの宮里藍ちゃんがエビアンの大会で海外初優勝を果たした。訪れたばかりの地を、帰国後に耳にするのは嬉しいものだ。

昼食後、1時間半かけてシヨン城見学。前に来たときは外観を見ただけだったので、入城できてうれしい。今回の旅では初めての歴史的建造物だ。1150年ころからサヴォア伯爵家が所有、13世紀半ばには今見るような形になった。一方がレマン湖に面しているので逃亡するときや、罪人を海に投げ込むにも便利だったという。

 インターナショナルスクールと書いたおそろいの帽子を被った小学生ぐらいの団体がいた。その中に数人の日本人の男の子や女の子がいた。女の子のひとりは東京、もうひとりは高知から来ているという。「1年生?」と聞いたら「年長さん」と返ってきた。親元を離れて3週間、5歳の子が外国で異国の人と過ごしているのだ。英語で喧嘩もしていた。頼もしい!

シヨン城外観 シヨン城内部 若者
海に面したシヨン城 頑丈な石造りのシヨン城内部 内部のベンチに座るカップル。ジーンズ姿がサマになっている。

シヨン城からバスでフランスのシャモニーに向かった。マルティニという町で自転車のツールドフランスに遭遇。日本人が2人出ているツールドフランスに出会えて良かった。帰国後に聞いたニュースでは、彼ら2人とも完走したという。これは大変な出来事らしい。

 ヨーロッパでは日本では考えられないほど、自転車が発達している。登山電車で出会った若者に値段を聞いたら80万円。27段のギアつきだ。いちばん安い車が150万円ぐらいというから、この自転車はかなり高い。でも登山電車にも折りたたまないで、そのまま乗れる。自転車天国がうらやましい。

スイスとフランス国境はノーチェック。5時前にシャモニースイスの旅1の地図参照)のホテルに着いたときは、モンブランが雲に隠れながらも見えていた。ホテルのそばを流れるアルプ川は、ツエルマットの川と同じく白っぽく濁っていた。夕食前に町を散歩。ここはフランスだから、買い物には今までのスイスフランは使えない。

ソシュールとパルマの像 モンブラン初登頂をした記念像が2つあるという。1786年8月に魔の山と恐れられたモンブランを地元の猟師バルマと医師のパッカールが征服した。銅像ウオッチャーを自認しているからには、探さねばならない。

 ひとつは医師のパッカール像。もうひとつは、懸賞金を出したソシュールと実際に登った猟師のバルマ像(左)。バルマがモンブランの頂上を指さしている印象的な像だ。

ここもツエルマットと同じく日本人であふれかえっている。知らない人たちと情報交換が始まる。今日上まで行った人たちは「すごくきれいでしたよ。モンブランが目の前にド〜ンと」「メッチャ寒いからあるだけの洋服を着ていった方がいい」「明日はもっと晴れると地元の人は言っている。明日に延ばした人もいるから、混むと思うよ」などなど。いろいろな話を総合すると、明日は絶好の日和になりそうだ。

夕食はホテルのレストランでとった。若い日本人もウェイトレスとして働いている。学生がアルバイトしているのかと思ったが「フランス人と結婚したばかりで、パリに住んでいるんですが、夏の間にお金を貯めています」という話だった。夕食のときに夫が頼んだ「モンブラン」という地ビールは、なぜか白っぽい。モンブランの氷河の水を使っているという。
<シャモニーのアルピナホテル泊>   (2011年5月23日 記)

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