東西トルコの旅 10
 カッパドキアの奇岩

2007年5月4日(金)-10日目

カッパドキア地図昼食後、ゼルベの谷(左地図@)を歩いた。満開のアーモンドや新緑の薄緑が、茶灰色の奇岩にいろどりをそえた風景に、感嘆の声を上げずにはいられない。

 火山が活発に活動していた太古の昔、エルジェス山の噴火で溶岩と火山灰が数100bも堆積した。長年の風雨で火山灰の層は浸食され、固い溶岩の部分が残って、キノコに似ている岩ができた。自然が造りだした芸術の最たるものではないだろうか。

奇岩の模型や刺繍製品を売る店が何10軒も連なっていた。食べ物では伸びるアイスクリームとやらが人気。アイスを伸ばすパフォーマンスが上手なので、昼を食べたばかりだが、話の種に買ってしまった。

ゼルベの谷 ゼルベの谷と露店
ゼルベの谷の奇岩群 奇岩の前で模型を並べている露店

かつてキリスト教徒が隠れ住んだ洞窟住居に、今も住んでいる家族がある。そのひとつの民家を訪問した。観光客に見せるという条件で、無料で入居している。この日は夏のような日差しだったが、洞窟の住まいはヒンヤリして気持ちがいい。赤ちゃんのいる夫婦が、にこやかに歓迎してくれた。主は、近所の採石工場で働いているが、たまたまこの時間に帰ったとのこと。

 そのうちに小学生も帰ってきた。「質問ないですか」とアポさんが言うので、算数の教科書を見せて欲しいと頼んだ。トルコでは私たちと同じ数字を使っているので、内容がわかるだろうと思ったからだ。教科書を見せてなどの要求はそうないと思うが、すぐに母親が教科書を出してきた。おそらく去年まで使っていたものだろう。母親の整理の良さと、小学生の礼儀正しさに感心してしまった。算数の教科書に書き込んである計算の答えや字をみても、賢さを感じた。

伸びるアイスクリーム 洞窟住居に住む家族 算数の教科書
伸びるアイスクリーム 洞窟住居の家族4人。もうひとり子どもがいる。 算数の教科書

次は西から町へ入る時の最初の要塞・ウチヒサール(上の地図A)へ。ウチは3つ、ヒサールは要塞の意味。ヒサールの一部が洞窟ホテルになっている。上部は鳩の家と呼ばれる。鳩の糞を集めて肥料にするそうだ。

カッパドキアのハイライトでもある、ギョレメの野外博物館(上の地図B)へ向かった。いつ頃修道院が作られたのか定かではないが、2〜3世紀にかけて、ローマ帝国の弾圧をさけたキリスト教徒が秘境の地に集まってきたらしい。ギョレメだけで洞窟教会は30以上あったが、破壊されたものも多く、保存状態がいいものが博物館として公開されている。

野外博物館 教会のフレスコ画 教会のフレスコ画
野外博物館 教会内部のフレスコ画 教会内部のフレスコ画


 リンゴの教会・バルバラ教会・蛇の教会・暗闇の教会を見た。15年前も、フレスコ画に感激したものだ。その後に見た敦煌の壁画などに比べ、絵画の質としては劣るような気がするが、洞窟に聖画を描かせた当時の人々の信仰心の篤さを感じることができる。フレスコ画が描かれたのは、洞窟教会完成からずっと後の11〜12世紀。絵の特徴から、イスタンブールの画家が描いたと、アポさんは説明した。

カッパドキアの東端にあるユルギュップ(上の地図C)には、カッパドキアでいちばん人気の3人姉妹の岩がある。エリンギみたいなキノコ岩が大小3つそろっていて可愛らしい。

三人姉妹の岩 ローズバレー
ユルギュップにある三人姉妹の岩 太陽でローズ色に染まるというローズバレー。この日は曇り空だった。

このあと、希望者5人だけ絨毯工場へ。絨毯を買う気がない私たちはいったんホテルに戻り、すぐローズバレーに向かった。夕日を浴びると谷が真っ赤に染まるからローズの名がついている。今日は朝から暑いぐらいの晴天だったが、日没時には曇り空。ネムルート山の日の出といい、ローズバレーの日の入りといい、肝心のときに太陽は臍を曲げてしまった。

15年前はK社のツアーだったので、絨毯工場見学が最初から日程に入っていた。流暢な日本語でたくみに絨毯を売る男性は、日本留学時にトルコ風呂の名称を改めさせたと聞いた。彼が留学していた頃の日本では、ソープランドをトルコ風呂と呼んでいたので、彼が怒るのは当たり前だ。日本の大学に留学した人が、なぜ絨毯屋のオヤジなんだろうとその時に思ったが、聞くわけにもいかなかった。

ところが、何気なくアポさんと話していて、トルコ風呂の誤解を解いたかつての留学生は、今は著名な大学教授になっていると知った。当時は絨毯屋に頼まれてアルバイトをしていたそうだ。             
<カッパドキアのカイマクルホテル泊>   (2008年9月23日 記)

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