2007年4月25日(水)〜5月13日(日) |
ハラン遺跡とアブラハムの生誕地 ネムルート山 ヴァン ムラエディの滝とイサクパシャ宮殿 アララト山とノアの方舟 スメラ修道院とトラブゾン サフランボル 首都アンカラ カッパドキアの農家と地下都市カイマクル カッパドキアの奇岩 コンヤ ヒエラポリスとパムッカレ エフェソス遺跡 ペルガモン遺跡とトロイ遺跡 イスタンブールへ イスタンブール1 イスタンブール2 イスタンブール3 イスタンブール4 |
東西トルコの旅 1 2007年4月25日(水)−1日目 12時50分(成田発)→トルコ航空で19時10分(イスタンブールアタチュルク空港着) 時差が6時間あるので12時間20分のフライト。23時25分(イスタンブール発)→トルコ航空で午前1時ころ ガジアンテップ着。 直行便でトルコに入国しているのに、待ち時間が多く結局は真夜中の到着だ。夫婦連れ5組、女性の友人同士が1組と、わずか12名のツアーだった。 <ガジアンテップ チュジヤンホテル泊> 4月26日(木)−2日目 就寝は2時半頃だったが、モーニングコールは6時半。いつものことだが、初日は日程的にきつい。これから18日間に体調をくずさないかと心配になってくる。スルーガイドのアポさん(日本人が発音しにくいということで、こんな呼び名になったが本名はabdulla)は、30代後半の働き盛りの男性。 東西に長いトルコの面積は、日本の2.3倍もある。人口6,500万人のうち、イスタンブールに1,200万人、アンカラに450万人、イズミールに400万人と、西部の3都市に集中している。東部の人口密度は低いに違いない。それでも初日に泊まったカジアンテップ(上の地図参照)は、100万都市。車窓から見たカジアンテップ市内。(左)。
ローマ時代の城壁・ウル・ジャミー(モスク)跡・イスラム初の大学跡が残っているので、以前は栄えたのだろうと察しがつくが、今は、馬・牛・山羊が放し飼いになっている寒村だ。山の上に、トルコの国旗が見えた。以後、どこに行っても高い所に赤い国旗が翻っていた。 遺跡の周辺にある農家は、屋根が円錐で分厚い日干し煉瓦で作られている。日干し煉瓦の内部は、夏は涼しく冬は暖かいそうだ。ハランの夏は45度にもなるというから、日中は家の中にいるしかないだろう。日干し煉瓦の家でチャイをご馳走になった。 ハランに近いウルファのレストランで昼食。ウルファはアブラハムの生誕地なので、生誕の洞窟・聖なる池・アブラハムのモスクなど見どころが多い。この日もウイークデーにもかかわらず、大勢の巡礼者で賑わっていた。キリスト教とユダヤ教とイスラム教は、いずれもアブラハムを祖としているので根は同じと言われる。争ってばかりいる3宗教の根が同じと言われても、私には理解できないが、アブラハムは旧約聖書ではイスラエルの民の祖、コーランでは6人の大予言者のひとりとして崇められている。
まず、アブラハム生誕の洞窟を見学した。入り口は男女別々。この洞窟の中で7歳まで育ったことになっている。周囲にはもっと快適な場所があるのに、なぜ穴蔵なのか。宗教に神秘性を求める人が多いからだろう。 数ヶ月後に訪れたイスラエルで、アブラハムの生誕地は、今のイラクだと聞いた。アブラハムが実在かどうかすら議論があるのに、4000年も前の人の生誕地などはっきりする筈もない。いずれにしても、ウルファはイスラム教徒にとって聖地。たくさんの人が真剣に祈っていた。私たちも、洞窟内に入るときはスカーフを被らねばならなかった。 聖なる池には、アブラハムが火あぶりの刑にあいそうになった瞬間に、火が水に、薪は魚になり救われたという伝説がある。酸素不足にならないかと心配するほどたくさんの魚がいたが、聖なる魚なので捕獲禁止だという。自然死を待つのかなあ。お祈り中のアブラハムのモスクには、私たちは入れなかった。 |