東西トルコの旅 11 2007年5月5日(土)−11日目 今日はカッパドキアからパムッカレまで、バスで移動する。この道は、シルクロードの一部だったので、およそ40qごとに隊商宿がおかれていた。東海道五十三次の宿場町のようなものだ。出発後1時間半ほどで、隊商宿のひとつスルタンハーヌキャラバンサライ(左)に着いた。1299年に出来たかつての隊商宿。宿泊室・男女別のハマム・礼拝堂・ラクダの休憩所跡が残っている。 次の見学地は、セルジュクトルコの首都だったコンヤ(トルコの旅1の地図参照)。オスマントルコがトルコ全体を掌握する前、11世紀後半にセルジュクトルコがアナトリアに進出した。コンヤの最盛期は、セルジュクトルコの首都がおかれた12〜13世紀。 旋回舞踊で有名なメブラーナ教の総本山も、セルジュク時代にここにおかれた。メブラーナは「わが師」という意味で、教団創始者のジェラルディン・ルーミーを指す。そのメブラーナ教団は、アタチュルクにより解散させられたが、宗教色を薄める形でメブラーナ博物館として公開している。 15年前、私たち女性はスカーフを被らねばならなかった。モスクならまだしも、博物館見学にスカーフ強制は変だなと思ったが、「いやなら見るな」と言われるだけなので黙っていた。今回、スカーフの強制はなかったところをみると、形式的に被らせても無駄だと気づいたのかもしれない。
博物館には、コーランの写本・メブラーナ直筆の本・衣服・工芸品・ムハンマドの顎髭が入った箱・メブラーナの棺などが、ごちゃごちゃと並んでいる。棺やムハンマドの顎髭の箱の周りは、必死な表情の信者たちが取り巻いていて、私たちが入り込む余地はない。ラッシュ時のような押し合いへし合いで、見物どころではなかった。土曜だから混んでいるのか、いつもそうなのか、中庭も同じように人があふれていて、厳かな雰囲気には、ほど遠かった。なぜこんなに人が多くなったのだろう。 次は、インジェミナーレ神学校へ。1267年に作られた神学校だが、今は彫刻博物館になっている。イスラム教は偶像禁止なので、彫刻といっても、ギリシャローマにあるような人間の彫刻はない。アラビア文字や幾何学模様の文様ばかりだが、繊細な細工に見とれてしまった。
昼食後は、今日の宿泊地パムッカレまでトルコの大地をひたすら走った。このあたりは、東部に比べれば人口も多いはずだが、沿道には人家はまばら。糸杉・羊・さくらんぼ畑など、のんびりした風景が続いていた。8時ころ、ようやくホテル到着。 <パムッカレのポラットホテル泊> |