東西トルコの旅12 
 ヒエラポリスとパムッカレ

2007年5月6日(日)−12日目

 今日も昨日に続き、朝から強い日差しで気温も高い。日に焼けそうだ。ホテルからバスで20分ほどのヒエラポリスとパムッカレに向かった。今回の旅では4つ目の世界遺産。

 シリアの支配下にあったヒエラポリスだが、シリアに勝ったペルガモンの王が、BC190年にローマから与えられた。3世紀から7世紀にかけて、8万人ぐらいが生活し繁栄していたという。劇場・北の門・南の門・アゴラ・アポロ神殿など貴重な遺跡が散在しているが、アポさんにヒエラポリスを案内する気はないようだ。

 私たちとツアー仲間4人は、赤いポピーと緑の糸杉と茶色の遺跡が織りなす光景に心を奪われてしまった。「急いで回ってこよう」と端から端まで歩いたので、集合時刻に2分遅れてしまった。2分でも、バスで待っている人の視線は冷たい。

ヒエラポリス 綿の城 水着で遊ぶ
茶色い遺跡の中に茂る濃緑の糸杉と赤いポピーがきれいだった。 白い石灰が綿の城の用に見える。 水着で楽しんでいる欧米人がたくさんいた。

 隣接するパムッカレは、トルコ語で綿の城という意味。石灰分を含んだ温泉が100b下の平地に流れ落ちる途中で、石灰だけを崖の上に残していく。こうして崖は真っ白い棚になり、温泉の青い湯がたまっていく。白い棚田が綿の城のように見えるからの名だという。綿の産地ということも関係しているのかもしれない。

 パムッカレは、15年前とはすっかり変わってしまった。石灰棚にはロープなどの仕切りはなく自由に入ることができ、湯量も豊富だった。私は以前買った1992年版の「地球の歩き方」を持って行った。広々とした石灰棚でたくさんの人が泳いでいる写真を見て、アポさん喜んだ。「そうそう、昔はこんなだったよ」と。 

石灰棚

 今回見た石灰棚は湯量も少なく、自由に入れる場所は狭い区域に限られている。「湯量が減ったのは、1996年の地震で地下水を流れる施設が壊れたことや、近くのホテルが温泉を引いたことも一因です。政府が保護を始めたので、最近は少し復活しています」と説明した。前に泊まったホテルは、石灰棚の隣にあった。朝日に輝く綿の城を見た覚えがある。アポさんに「ここに泊まった気がするけど、思い違いかなあ」と話したら「昔は綿の城の周りに、たくさんホテルがあったんです。政府の方針で移動させられました」。記憶は正しかった。

 昼食後、少し離れたアフロディシャスの遺跡を見学。以前はこの遺跡を見ていないが、アポさんが「一番好きな遺跡」と言っている。ローマ遺跡は見飽きたが、観光客が少ないなかでの遺跡めぐりは、のどかな草原を散歩しているようで良かった。

 紀元前82年に、ローマの将軍が金の斧と冠を女神のアフロディテに奉納して、それが地名になった。アフロディテ信仰の中心だったが、5世紀にローマ皇帝がカリア地方の首都とした後に、キリスト教の中心地として栄えた。テトラファイロンという二重の門・3万人収容の競技場・イオニア式とコリント式の柱を持つ神殿・1万人収容の大劇場・アゴラなどが残っていた。

アフロディシャス遺跡 アフロディシャス遺跡 アフロディシャス遺跡
柱がたくさん残っている。 円形劇場 人が少なくてのどかな感じがする遺跡

 トイレ休憩を兼ねて、トルコの代表的なお菓子ロクムを売る店に寄った。1箱700円もするが、飛ぶように売れていた。このあたりになると日本人の団体に数え切れないほど出会う。みなさんが何箱も買っていたので、日本中にロクムがあふれたことだろう。

 たまたまこれを打っているときに、H社から旅のカタログが届いた。トルコ8日間で139,800円。しかも燃料サーチャージ込みだという。3都市で5つ星ホテル宿泊。なぜこんなに安いのかわからないが、トルコのパックツアーは安いのが多い。しかも見所満載だから日本人が押しかけるわけだ。ちなみに、東西トルコの旅19日間は、ここに書くのが恥ずかしいぐらい高い。

 6時20分ころ、エーゲ海に面したクシャダスのホテル到着。クシャダスは、エーゲ海クルーズのときにクルーズ船が入港した町だ。なつかしいので、港めざして歩き出したが、とんでもなく離れていることがわかり、途中で引き返した。リゾート風できれいなホテルだが、周りには何もないつまらない所だ。
<クシャダスのリッチモンドエフェソス泊>(2008年10月16日 記)


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