東西トルコの旅16
イスタンブール 1

2007年5月10日(木)-16日目

イスタンブール観光1日目の続きを書いている。ヒポドロームの次はブルーモスク(スルタンアフメットジャミー)を見学した。イズニック製の青いタイルをたくさん使っているので、ブルーモスクと呼ばれる。泊まっているホテルがブルーモスクのすぐ側にあるので、屋上から朝靄にかすむブルーモスクが見えた。少し離れたところから見るブルーモスクもいい。近くから見るブルーモスクもいい。内部もいい。

ブルーモスク外観 ブルーモスクの屋根 ブルーモスク内部
ブルーモスク外観 ブルーモスクの屋根 青いタイルが使われている内部

アフメット1世が1609年に建造を命じ、7年かけて完成。イスラム教にとって7は大事な数字なので、モスクは7年かけて作ることが多い。白い柱はペルガモンのトラヤヌス神殿から、ピンクの柱はエジプトから持ってきた。イスラム教徒にとって、ギリシャ神殿もエジプトの神殿も異教徒のものだから、略奪してもやましい気持ちはなかったのだろう。

15年前は、ミフラブ前の絨毯に座り込んで、いっときムスリムになったようなひとときを過ごした。ところが今は、ムスリムとツーリストを隔てる柵が出来た。私たちはミフラブには近づけないし絨毯にも座れない。柵の外の狭い場所に立っての見学だ。

ブルーモスクに隣接するアヤソフィアには、イスタンブールの波乱の歴史が込められている。イスタンブールで1ヵ所しか見る時間が無い場合は、アヤソフィアを見たらいいと思う。そのぐらい私は惚れ込んでいる。

アヤソフィアと水売りおじさん キリストの顔 アヤソフィアの内部
アヤソフィアと水売りおじさん 漆喰から現れたモザイク画のイエス イスラム時代の円盤

今は博物館になっているが、もともとは、コンスタンチヌス2世が360年に建立したギリシャ正教の大聖堂だった。1543年にコンスタンチノープルを陥落させたメフメト2世は、真っ先にアヤソフィアで祈り、ただちにイスラム教のモスクに変更した。建物はそのままで、名前だけをアヤソフィアジャミーとイスラム風にした。使えるものは利用しようじゃないかの合理性がイスラム教にはあると聞いた。

とはいっても内部までそのままにしていたのではない。ギリシャ正教時代のキリスト教のモザイクの聖画を、漆喰で塗り込めてしまった。1932年に漆喰が剥がされてモザイクの聖画が現れた。漆喰を剥がしてイエスの顔が現れたときの感動は、異教徒の私にも想像できる。なかでも「請願」と呼ばれる聖画のイエスの超然としたお顔が実にいい。

もちろんイスラムらしさも残っている。8つの円盤には、アッラー・ムハンマド・ムハンマドの4人の後継者・ムハンマドの孫2人の名前が書いてある。黒地に金色のアラビア文字が映える。

次に訪れたグランドバザールも、コンスタンチノープルを征服したメフメト2世が作った。「1時間後に戻ってきて」とアポさんは言うが、なにしろ入口が22ヶ所、通りが64本もあるから、買い物に夢中になっていたら迷子になる。イスラムのバザールも見飽きたし、絨毯も陶器皿もタイルもトルコ石もいらないから、来た道を確認しながらブラブラ。名物のお菓子ロクムをいくつか買い足しただけだった。前に来たときはトルコ商人の熱気に煽られてろくに周囲を見ていなかったが、天井も装飾されていることに気がついた。

グランドバザール 軍楽隊 魚市場
天井がきれいなバザール。 親衛隊の軍楽隊は勇壮な曲で楽しませてくれた。 終いかけていた魚市場。

昼食後、軍事博物館へ。軍事博物館には、世界最強とヨーロッパにも恐れられたオスマントルコの軍の武器や武具が展示されている。トルコの中学生が課外学習で大勢見学に来ていた。トイレに入るときなど、並んでいる私達を押しのけて入ってしまう。先生は叱っていたが、お行儀となると先進国にはほど遠い。

イエニチェリ(親衛隊)軍楽隊は1826年に廃止されたが、1952年に観光用として復活した。コンサートは3時から4時までの1回しかないので、500人の観客席は満席。マントや帽子を身につけ髭をたくわえた演奏者は、威厳があり堂々としていた。オスマン軍を鼓舞し、敵を恐れさせただけのことはある。

夕食は、海岸沿いにあるレストランでとった。イカリング・スズキの塩焼きなど久しぶりにオリーブオイルの味から解放されて、おいしかった。レストランに隣接する魚市場には、イワシ・サバ・エビ・イカなど日本でもなじみがある魚が並んでいた。

ホテルの屋上から、ライトアップされた旧市街を見た。ミナレットがあやしく光っていたが、写真にはよく写っていない。<イスタンブールのプレジデントホテル泊>(2008年12月16日 記)

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