東西トルコの旅17 2007年5月11日(金)−17日目 ホテルは旧市街にあるので道幅が狭く、バスの運行には不便だ。今朝も違法駐車している車のせいで、難儀した。アポさんは「こんなことをするのはクルド人だ」と怒っている。東を回っている時はクルド人の子ども達を可愛がっていたが、本心ではクルド人を差別している。貧しさから抜けようと大都会に来ても、違法駐車せねば食べていけない彼らに少し同情してしまった。大きな荷物を担いで日銭を稼いでいるのもクルド人(左)だった。 まずトプカプ宮殿に向かった。歴代皇帝の居城であり政治の中枢だったここを訪れると、オスマン帝国の権力を実感できる。トプカプという名前からして宮殿のイメージから遠い。トプカプは大砲の門という意味で、実際に海沿いの城壁の門に大砲を備えていた。 トプカプ宮殿は、ボスポラス海峡と金角湾とマルマラ海が交わる高台に建っている。つまりアジアもヨーロッパも視野に入る。しかも海側を2キロの陸側を1.4キロの城壁で囲まれていた。これほど恵まれた地に建つ宮殿でさえ、永遠ということはない。実際にオスマン帝国は約400年後に滅亡した。 宮殿内部には中門から入った。混んでいるのでガイドの説明が禁止されているのか、アポさんは各部屋の概略を話しただけで、集合時間が告げられた。 宮廷で使われた中国の青磁・白磁、日本の伊万里焼などの陶磁器は目の保養になる。4000人の食事をまかなっていた厨房には、大きな窯や大きな鍋が当時のままに保存されている。ここで世界4大料理といわれるトルコ料理が生まれた。「トプカプの秘宝」を展示した宝物館は大混雑。なかでも「短剣」と「スプーン売りのダイヤモンド」が有名だ。宝石の価値がわからない私は、宝石そのものよりも、これだけのものを集めたオスマン帝国の権力に思いをはせる。 北端のテラス近くにあるバクダッドのキオスクは、1638年にバクダッド征服を記念して建てた四阿屋。JR駅の売店をキオスクというが、もともとこのキオスクからヒントを得たと以前のガイドから聞いた。真似された本家のキオスクがお気の毒。はるかに立派なのだから。
15年前には時間がなくて寄らなかったハレムが、いちばん印象に残った。議会や宰相の部屋など公的な場の奥は、皇帝個人の領域になっている。ハレムは江戸城の大奥と同じようなもので、男性は皇帝・皇子・黒人の宦官だけに許された区域。鎖国をしていた江戸時代に、トルコと交流があったとも思えない。にもかかわらず、ハレムと大奥という同じような施設があったことが面白い。しょせん権力者の考える事は、似通っている。
次は歩いて地下宮殿へ行った。冒険小説が大好きだった私は、地下道・地下牢・地下墓場など地下とつくだけでワクワクしてくる。宮殿とは名ばかりで単なる貯水池と知ったときは、ほんとにがっかりした。
1時半からオリエントエクスプレスというレストランで昼食。名前のとおり、オリエントエクスプレスの終点シルケジ駅の駅舎を利用したレストランだ。「オリエント急行殺人事件」などの舞台になったオリエント急行には前から憧れているが、前回も今回も入線している列車を写しただけだった。 (2009年1月2日 記) 感想・要望をどうぞ→ 東西トルコの旅1へ 次(イスタンブール3)へ ホームへ |