東西トルコの旅19(最終回) 2007年5月11日(金)-17日目 イスタンブールで5時間の自由行動の後、ベリーダンスショーを見ながら夕食。同行Iさんの誕生祝いも兼ねていた。ベリーダンスのベリーは腹の意味で腹を見せて踊るのでその名がある。トルコのベリーダンスは、エジプトのカイロで見たのより上品だ。女性の腹ダンス(左)以外に、男性の腹ダンスもあった。ユーモラスな動きに観客は大笑い。<イスタンブールのプレジデントホテル泊> 5月12日(土)・13日(日)−18日・19日目 10時の出発まで時間があったので、きのうとは別方向の坂道を下りてみた。小さなスーパーを冷やかしながら更に下っていくと、見たようなレストランが。一昨日の夜、美味しい魚料理を食べた海岸沿いのレストランだった。アポさんに「あのレストランまで行ってきた」と話すと、「そんなに歩いたの」とびっくりされた。トルコ人は、歩くことに抵抗があるような気がする。 新市街の船着き場までバス。そこから約1時間のボスポラス海峡クルーズに出発した。長かった旅の最終日に相応しい上天気。光り輝く海と行き交う船・ヨット・ボスポラス大橋・両岸の建造物を見ているだけで幸せな気分になった。イスタンブールはどこから見ても美しい。
船が動き出してすぐドルマバフチェ宮殿の裏側が見えた。1856年に完成したヨーロッパバロック様式の宮殿。完成後に皇帝たちは、トプカプ宮殿からここに移った。15年前は広い内部を見学したが、どの部屋も天井にはジャンデリアが下がり、床には高価な絨毯が敷き詰められていた。 クルーズ最大の見所であるルメリ・ヒサールのルメリはヨーロッパ、ヒサールは城塞を意味する。メフメト2世が、ビザンチン帝国のコンスタンチノープルを征服するために、1452年にヨーロッパ側に築いた城塞で、わずか4ヶ月の突貫工事で完成した。大がかりな工事をされても黙って見ているしかなかったビザンチン帝国の弱体ぶりが分かる。対岸のアジア側にはすでにアナトリア要塞があるので、黒海を南下してくる船を挟み撃ちすることが出来た。
今度はボスポラス海峡の船上からヒサールを眺めた。近くから見ても遠くから見ても強固な城塞だ。たった4ヶ月でこれほどの城塞を築いたオスマントルコの力とメフメト2世の力を感じずにはいられない。
最後の昼食のあと、14時30分に空港に着いた。ここで17日間を共にしたアポさんとサイムさんにお別れ。サイムさんがバスで走った距離は7330q。私達がサフランボルからアンカラまで飛行機に乗ったときも走っている。この距離をのぞくと、私達は5480qもバスに乗っていたことになる。日本の北から南まで縦走したようなものだ。 空港の待合室で、これから日本に行くという若者数人に会った。「コーラはいくらか」「昼飯はどのぐらいで食べられるか」など聞かれたので、貧乏旅行と思いきや、スケジュール表を見ると、東京ではオークラ、京都ではブライトンホテルに泊まることになっている。日本の商社が案内するビジネス旅だった。「ありがとう」「はい」「いいえ」「さよなら」など最低限の言葉を、ローマ字で書いてあげたら喜んでいた。 17時30分(アタチュルク空港発)→機中泊 5月13日11時成田空港着 |