東西トルコの旅 2
ネムルート山

2007年4月26日(木)-2日目

ユーフラテス川のダム

ハラン遺跡やウルファを観光後、夕方5時ころ、アタチュルクダム(左)の見える公園に着いた。ユーフラテス川を堰きとめたダムはトルコ全土で100ぐらいあり、ここのは最大のもの。ダムは珍しくもないが、4大文明発祥のユーフラテス川を目にして大感激。

公園では、アーモンドの青い実をつまみながら数人のトルコ人が談笑していた。「どうぞ」という仕草でアーモンドをくれたが、青梅はお腹をこわすと聞いている。旅行は始まったばかりなので、用心してちょっとだけ齧った。自然な仕草で仲間にいれてくれたフレンドリーさが嬉しい。

7時頃、ネムルート山の麓のホテル到着。とても寒いのに暖房もない。ホッカイロをふたつも貼ってセーターを着てマフラーを巻いて、やっと眠ることができた。 <キャフタのユーフラットホテル 泊>

4月27日(金)-3日目

ネムルート山の日の出と遺跡を見るために、朝4時に起きてホテルを出発。途中からドルムシュという小さなバスに分乗して、中腹の駐車場に向かった。出発時から降っている雨は、山道を歩き出しても止む気配はない。道の一部に雪も残っている。でも、20分という短い登りなので、楽々とネムルート山の「東のテラス」に着いた。 

相変わらず小雨が降っている。太陽は顔を出さないものの、暗闇から遺跡が浮かび上がってきた。

高さ2200bのネムルート山の頂上に、コンマゲネ王国のアンティオコス1世の墓がある。これが1987年に世界遺産になった。コンマゲネ王国はBC1世紀ころに栄えた小さな独立国だが、のちにローマ帝国に編入されてしまった。

 トルコの大ざっぱな歴史には、コンマゲネ王国などという国名は出てこない。それほどこの大地にいろいろな人種・いろいろな国の興亡が繰り返されたと言える。

円錐形の墓を背にして、墓を守る神々(獅子・鷲・アポロン・テウケー・ゼウス・アンティオコス・ヘラクレスなど)の像が並んでいる。頭部は地震で転げ落ちたので、台座の前に頭部だけが並んでいる。台座の上に戻してやればいいと思うものの、そのままの方が滅びた国の雰囲気が出ている。

東のテラスの神像 東のテラスの神像 東のテラスの神像 西のテラス

西のテラスにも同じような像が並んでいるはずだ。「雪が多いから西には行きません」とアポさんが言う。「西のテラスも見たい」と仲間のひとりが主張したので、しぶしぶ案内してくれた。私はこの遺跡に思い入れがないからどうでもいいようなものだが、2度と見るチャンスはないだろうと、雪にズボズボ入りながら、西のテラスに向かった。東西でこんなに違うものなのか。荒涼とした雪景色と、雪から顔を出した神像の表情が良かった。

 ホテルに戻り朝食をとった後に出発。今日はヴァンという町まで移動しなければならない。ダム湖をフェリーで渡らないと、ますます距離が伸びる。でもこのフェリーがくせもので、出発の時刻など決まってないのだとアポさんは、ぼやく。ぼやくというより、いらついている。トルコ東部の観光面での遅れを、その後何度もアポさんから聞いた。

 昼食はディヤルバクル東西トルコ1の地図参照)のレストランで。レストランのまわりには、パン・オリーブの実・チーズなどの専門店が並んでいた。一見同じように見える白いチーズが何種類も並んでいるが、ほとんど羊の乳から作られているそうだ。

ディヤルバクルは今も東南トルコの中心都市だが、ローマ・ビザンチン時代の城壁、神学校などが残る古都でもある。すぐ側をチグリス川が流れていたが、上流なので細い。中学の頃に「メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス」と覚えた。きのうはユーフラテス、今日はチグリス。両川をこの目で見るときが来るとは、少女の頃は思いもよらなかった。

チーズ専門店 ケバブ屋さん トルコの女性達
ディヤルバクルのチーズ専門店。ほとんどが羊のチーズだがそれぞれ微妙に味が違うそうだ。 ディヤルバクルのケバブ屋さん。イスラムの国ではお馴染み。 マラバディ橋の上でトルコの女性達と歓談。みな人なつこい。

途中、13世紀に作られたアーチ型のマラバディ橋を歩いて渡った。子ども達が大勢いて、なんやかんや話しかけてくる。娯楽も少ないようだし、日本人が珍しいので、寄ってくるのだろう。スカーフのご婦人も人なつこい。

琵琶湖の6倍というヴァン湖を左に見ながら、8時半ころヴァンのホテルに着いた。朝4時に起きているので、今日も長い1日だった。<ヴァンのメリットホテル 泊> (2008年6月16日 記)

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