東西トルコの旅3
ヴァン

2007年4月28日(土)−4日目 

今日もアポさんの「ギュウナイドン(おはよう)」の挨拶で始まった。私達が「ギュウナイドン」と答えると、「ナスルスヌズ(お元気ですか)」と続く。みんなが「イイイム(元気です)」と答えて1日が始まる。

ヴァンは、BC13世紀からBC7世紀にかけて東アナトリアを支配していたウラルトウ王国があったところ。コンマゲネ王国もそうだったが、初めて聞く王国。でもここは、4大文明発祥の地なのだ。日本では縄文時代のBC13世紀に繁栄していても、なんら不思議はない。

ヴァン城はBC9世紀にウラルトウ王国の王が築いた城で、朽ちかけた城塞が残っている。楔形文字が石に彫ってあり、触ることも出来る。博物館でガラスケースの中に入っている楔形文字を、生の状態で見たのは初めてだ。

ヴァン城 楔形文字 ヴァン猫
廃墟のヴァン城。青空に似合う メソポタミア文明の象徴・楔形文字がむき出し。 この写真でははっきりしないが、右目が緑で左目が青い。肉眼でははっきりわかる。

ヴァン城の眼下には青いヴァン湖、芽を出したばかりの白ポプラ、羊の群れ、黄色い野の花が見えた。「絵のような美しさ」とはこういう景色を言うのだろう。ちょっと目を転じると、雪をいだいたスパン山とモスク。青空のもとで、すべてが輝いていた。

ヴァンには、右が青い目、左が緑の目の珍しいネコがいる。私たちもお金を払って見学したが、この猫は右が緑で、左が青だった。

ヴァン市内の中心部で40分のフリータイム。ここの住人は全員がクルド人だという。クルド人といってもトルコのIDカードを持っている。クルド人にはトルコに反発している過激派だというイメージがあるが、一般のクルド人は、ごく優しそうで人なつこい。子どもも大人も、英語で“Japan?Chin?”とか“What’s your name?”など話しかけてくる。

土曜だからか、祭りなのか、屋台がたくさん出ていて賑わっていた。合唱の発表会があるらしく、おそろいの洋服を着た子ども達が整列していた。手を振っての大歓迎で、カメラを向けると満面の笑みを作ってくれた。

青い湖と白ポプラ 白ポプラと羊の群れ クルド人の子供
ヴァン城からの眺め。青い湖と白ポプラが輝いていた。 白ポプラと羊の群れ。 クルド人の子供は人なつこい。

 きのう来た道をヴァン湖沿いに戻ったところにあるレストランで昼食。その後、貸し切り船に20分乗って、アクダマル島に着いた。

この島のみどころはアルメニア教会。建物の外壁にある「アダムとイブの楽園追放」などのわかりやすいレリーフが見事だ。10世紀に作られ、第一次世界大戦までは教会として使っていたが、今は使われていない。1915年のアルメニア人の逆殺のためだろう。アルメニア人を虐殺したことでトルコが非難されているが、アポさんは少しむきになってトルコの正しさを話した。議論に加わるにはあまりにも無知なので黙っていた。

青いヴァン湖、湖を囲むように幾重にも重なる雪山、ちょうど満開をむかえたピンクのアーモンドの花。ここで1日ボーとしていたいようなきれいでのんびりした島だった。トルコのおばさんたちが、摘み草をしていたので、「食べるのか?」という動作をしたら、笑顔で「もぐもぐ」してくれた。

摘み草 アルメニア教会とアーモンドの花 雪をいだいたスパン山
摘み草をしていた。カメラを向けても嫌がらない。 アルメニア教会と満開のアーモンドの花。 雪をいだいたスパン山。

5時ころにはホテルに戻った。初日からきのうまでの強行軍だったが、4日目にしてやっとのんびりできた。 <ヴァンのメリットホテル泊>(2008年6月30日 記)

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