東西トルコの旅4 2007年4月29日(日)−5日目 今日は更に東にあるアララト山のふもとまで行くことになっている。 アポさんは「東部の人は、お見合いで結婚します。結婚式までは処女なんです」と、さも重大なことでも打ち明けるように話した。イスタンブールなど都会では、処女で結婚する人などいないということだ。
昼食後、クルド人の領主によって建てられたイサク・パシャ宮殿を見学した。1685年にはじまり、1784年のイサク・パシャのときに完成したので、100年もかかっている。タイルなどの色彩は皆無だ。周辺が砂漠なので、タイルに色があってもよさそうなものだが、考えがあってのことだろう。 この宮殿で、忘れられないトルコ人の親子3人連れに出会った。60代と思われる上品な夫婦と30歳ぐらいの息子。アポさんの通訳によると、ご主人は元大学教授で、アラビアのメッカに巡礼に行った帰り。 イスラム教徒は、一生に一度はメッカに行かねばならない。メッカに行った印として、そこで買った土産物を分け与えるのが習慣だという。側にいた私と数人が、奥さまから緑色の指輪をもらった。急なことであわてたけれど、新しい和風の巾着を持っていたので手渡した。最初はいらない・・と言う風に手を振ったが、最後には受け取ってくれて、ほおずりをして別れた。明日行くことになっているエルズルムという町に住んでいる。
東部には畑らしきものがほとんどない。土地が農業に適していないので、野菜は西からの輸送に頼っている。小麦畑と放牧地ばかりだ。そんな荒野に、トルコ軍の基地がかなりの頻度で現れる。残念ながら写真は撮っていない。禁止されたわけではないが、摩擦を起こしたくない。 今日も2回の検問があった。1回目は、名前のリストを提出するだけですんだ。2回目は、パスポートを集めに来た。アポさんの弟もこの僻地の基地で16ヶ月勤務したという。東部をガイドした時に、弟を一泊連れ出すことは可能だった。イスタンブールなど刺激的な都会で育った若者が、よく我慢できると思えるほどの、山間の基地である。ときどきの検問は、気分転換になるような気がした。(2008年7月16日 記) |