東西トルコの旅4
  ムラエディの滝とイサクパシャ宮殿

2007年4月29日(日)−5日目

 今日は更に東にあるアララト山のふもとまで行くことになっている。

 バスは雪山の麓を登っていく。4月末でも高地のこのあたりは山には雪が多い(左)。

 草原は芽吹きの時期で、草摘みの女性達もにこやかに挨拶してくれた。(右)。東ルコ人は素朴で温かい。

 1時間半ほどで、ムラディエの滝に着いた。迫力がある滝だが、水が茶色で汚い。
 ここで、花嫁ご一行さまに出会ったことが、この滝を思い出深いものにした。男性はタキシード、女性は白いウェディングドレス。親類縁者と一緒に名所を何カ所か回って写真撮影をするのが慣例だ。最東部の田舎での結婚式だから、民族衣装を着るのかと思ったが、西洋式だった。旅行者の勝手な言い分からすると民族衣裳の方がいい。日本に来た外国人も文金高島田を喜ぶだろう。


 アポさんは「東部の人は、お見合いで結婚します。結婚式までは処女なんです」と、さも重大なことでも打ち明けるように話した。イスタンブールなど都会では、処女で結婚する人などいないということだ。

花嫁と花婿。親類が後に続いている。 ムラエディの滝は水量が多く迫力はあるが、水の色が汚れている。 滝見物を終えたトルコ人。カラフルな服装だ。

 昼食後、クルド人の領主によって建てられたイサク・パシャ宮殿を見学した。1685年にはじまり、1784年のイサク・パシャのときに完成したので、100年もかかっている。タイルなどの色彩は皆無だ。周辺が砂漠なので、タイルに色があってもよさそうなものだが、考えがあってのことだろう。

 総面積7600平方メートル、部屋数は366と広くて、見事な宮殿だ。セルジュクトルコ、グルジア、ペルシャ、アルメニア、オスマントルコのスタイルが融合している。

 この宮殿で、忘れられないトルコ人の親子3人連れに出会った。60代と思われる上品な夫婦と30歳ぐらいの息子。アポさんの通訳によると、ご主人は元大学教授で、アラビアのメッカに巡礼に行った帰り。

イスラム教徒は、一生に一度はメッカに行かねばならない。メッカに行った印として、そこで買った土産物を分け与えるのが習慣だという。側にいた私と数人が、奥さまから緑色の指輪をもらった。急なことであわてたけれど、新しい和風の巾着を持っていたので手渡した。最初はいらない・・と言う風に手を振ったが、最後には受け取ってくれて、ほおずりをして別れた。明日行くことになっているエルズルムという町に住んでいる。

イサクパシャ宮殿。透かし彫りも見事だ。 イサクパシャ宮殿。イスラム独特の丸屋根とミナレット。 巡礼帰りの親子。私の息子は母をこんなに大事にしてくれない。

東部には畑らしきものがほとんどない。土地が農業に適していないので、野菜は西からの輸送に頼っている。小麦畑と放牧地ばかりだ。そんな荒野に、トルコ軍の基地がかなりの頻度で現れる。残念ながら写真は撮っていない。禁止されたわけではないが、摩擦を起こしたくない。

 「トルコは84年間も戦争していないんです。第二次世界大戦ではアメリカについていましたが、参戦はしてません。ケマルパシャの命令を守っていますからね」と、アポさんは誇らしげに言うが、その割には20歳以上の男性の兵役は義務だし、基地もあちこちある。

 思えばトルコは、イラク・イラン・アルメニア・グルジア・ロシア・シリア・レバノンなど、きな臭い国に囲まれている。そんなこともあって、東部には基地がたくさんあるのだろう。

今日も2回の検問があった。1回目は、名前のリストを提出するだけですんだ。2回目は、パスポートを集めに来た。アポさんの弟もこの僻地の基地で16ヶ月勤務したという。東部をガイドした時に、弟を一泊連れ出すことは可能だった。イスタンブールなど刺激的な都会で育った若者が、よく我慢できると思えるほどの、山間の基地である。ときどきの検問は、気分転換になるような気がした。(2008年7月16日 記)

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