東西トルコの旅 5
 アララト山とノアの方舟

2007年4月29日(日)-5日目

大小アララト山トルコ東部の旅を続けている。次第に雪山や雪の平原が多くなってきた。海抜2600bの高原を走っている。突如、大アララト山(約5100b)と小アララト山(約4000b)の高貴な姿(左)が見えてきた。

 国境を接しているアルメニアの国章はアララト山だ。アララト山は、1920年まではアルメニアの領土で、アルメニア人の心のよりどころだった。アルメニアとトルコは、虐殺問題とアララト山をめぐっての対立が続いている。そのためか登頂を許されていない。高貴な風貌と名前にしては、きな臭い山だ。

旧約聖書の創世記に、ノアの方舟(箱舟)の記述がある。神が悪に満ちた世界を絶滅しようとして洪水を起こした時に、ノアは家族と各動物のひとつがいを乗せる方舟を作って洪水を逃れた。その方舟が、アララト山のふもとに漂着したという。

「・・それで水はしだいに地の上から引いて、150日の後には水が減り、方舟は7月17日にアララテ山にとどまった。水はしだいに減って、10月になり、10月1日に山々の頂きが現れた。・・

ノアの方舟はたくさんの画家が描いているので、私にも自分なりの方舟がインプットされている。その方舟の残骸を見に行くのだから、期待しないはずがない。

 「方舟が着いたなんて本当だろうか」、半分は「ウソだろう」半分は「いや何かあるんだろう」とワクワクして、アポさんの後に従った。私がトルコ東部をめぐる旅に参加した目的のひとつは、アララト山と方舟を見ることだった。信者でない私にも、方舟伝説は面白い。

 「あれが方舟の跡です」とアポさんが指す方を見たとたん、全員が「え!どこどこ」「な〜あんだ」と口にした。山の中腹に、方舟ごとき形をした跡があるだけだ。間違いなく「世界がっかり名所」に入るだろう。

 信仰している人にとっては、そんなことはお構いなし、アメリカ人などが大勢見物に来るそうだ。小さな資料館に、アメリカの研究者が1985年に木片を発見したなどの新聞記事や研究成果などが展示してあったが、木片の実物はなかった。いずれにしても考古学者の裏付けはないという。みんなシラーとしてしまったが、見なければ見ないで心残り。旅は楽しまなきゃ。

ノアの方舟跡 方舟資料館 アララト山と羊
方舟の跡 方舟の資料館 アララト山と羊

ホテルに向かう道で、アララト山と羊の群れの写真を撮った。この辺の羊は、黒、白、茶色とバラエティに富んでいて、面白い。それにしても、なぜ羊はいつも下をむいて、しかも同じ方を向いているのだろう。時には食べることに飽きて、ただブラブラしても良さそうなものなのに。

ドウバヤズイットは国境の町で軍隊の駐屯地だから、良いホテルと望む方が無理だと思うが、予想通りひどいホテルだった。 <ドウバヤズイットのシムエールホテル泊>


4月30日(月)−6日目

今日は旅に出て2回目の雨。この日の雨はいやに印象に残っている。バスは、雨の中をひたすら高原というか荒野を走った。雪をいだいた山と羊の群れの光景は昨日までと同じだが、牛の放牧が増えてきた。パスポートの顔を照合する厳しい検問もあった。

昼頃、エルズルム東西トルコの旅1の地図参照)に着いた。民族衣装・楽器・刀・石臼・アクセサリーなど、オスマントルコ時代の装飾をしたレストランで昼食。メニューは相変わらす、スープ・タンドルケバブ・サラダなど。

エルズルムは東アナトリア最大の町。標高1850メートルと高い上に、雨が降っているので寒い。まずヤクティエ神学校に行ったが、閉まっていた。1310年に建てられた有名な建築だと言うが、外観だけだから印象はない。

 次は、チフテ・ミナーレ神学校に行った。ここには雪が残っていた。この町の最大の見どころらしいが、雪をよけることもしていない。1253年のセルジュク時代のもの。2本のミナレットが町のシンボルにもなっている。ドーム型霊廟が3つ並んでいるのが、3人の王の墓。8角形に円錐の屋根が乗っているのは12世紀のエミール・サルトウクの墓とされているが、ふたつは被葬者が分かっていない。

トルコ料理の定番 神学校 子ども達
エルズルムの昼食。トルコ料理の定番・タンドルケバブとサラダ。 雪が残っているセルジュク時代の神学校。2本のミナレットは右が先生の作、左が弟子の作。 神学校の中で、子どもが無邪気に遊んでいる。


 このあと、町を自由に散策することになっていたが、全員が「寒いからイヤだ」と言ったので、4時ころにホテルに入った。ホテルは郊外のスキー場そばにある。部屋からスキー場も雪山も見えるし、ホテルはきれいだったが、町から離れているのですることがない。トルコ風呂のハマムに入って時間をつぶした。

 ハマムは、日本でかつて言われたトルコ風呂とは似ても似つかぬ健全な蒸し風呂である。男性がマッサージするので、誤解を生んだのかもしれない。前回の旅では、水着を着用してマッサージしてもらったが、それでも気持ち悪かった。それ以来懲りているので、今回はパス。女性のマッサージ師もいるが、数は少ないようだ。アポさんは「みなさんは、男性医師にも身体を見せているではありませんか。マッサージだけ気持ち悪いなんて変だ」とあきれている。

エルズルムは東アナトリアで最大の町という割には、寒かったという印象しかないが、イサク・パシャ宮殿で出会った親子3人が住んでいる町。それだけで充分だ。<エルズルム ポラットホテル泊>
(2008年7月23日 記)
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