東西トルコの旅 9 2007年5月4日(金)−10日目 今日は1日かけて、カッパドキアを観光することになっている。カッパドキアは、特定の地名を指すのではなく、西のネヴシェヒル(左の@)と東のユルギュップ(左のA)、北のアヴァノス(左のB)を結ぶ三角地帯、もしくはもう少し広い地域をさす。紀元前にこの地を支配した王国名のカッパドキアにちなむ。今回の旅で3つ目の世界遺産。 希望者6名は朝4時に起きて、バルーンでカッパドキアを上から眺めるオプショナルツアーに参加した。E旅行社はオプショナルツアーをしない、誘わないをポリシーにしているが、若い添乗員はベテランガイドに反対できなかったのだろう。乗りたい人にとっては好都合なので、その兼ね合いが難しいところだ。ひとり200ドルと2万円以上するし、気球がどんなものかよくわからない。風船で空にあがるなど恐いように思えたので、私たちはパス。「観光客が来ないうちに奇岩周辺を歩いた方がいい」となった。 ところが、ホテルの周辺には奇岩などなく、畑ばかりだ。昨夜着いた時は地理がつかめなかったが、ホテルは地下都市のカイマクルに近く、奇岩が集中している所から20`も南にあることがわかった。
私達ふたりのために、時間をかけて入れてくれたチャイは香りがあった。ホテルのビュッフェで出るチャイは、色がついているだけで風味がない。ガソリンスタンドなどで飲むチャイはおいしいが、そのどれよりも味わい深かった。数日前にアポさんから習った簡単なトルコ語が役に立った。10までの数字を覚えていたので、子どもがふたりいることもわかった。隣の家のおばあさんも孫を連れてやってきた。帰国直後に写真を何枚も送ったが、返事はない。喜んでいるだろうか。 集合の10分前には戻らねばならないと、引き留めるのを振り切ってさよならをした。ところが、気球組6名はまだ帰ってない。農家での楽しい時間を振り切って帰ってきただけに憤慨したが、ガイドがいなければ私達は動けないのでどうしようもない。 結局40分ほど遅れて、ツアーでの観光が始まった。まずホテルに近いカイマクルの地下都市(上の地図のC)に向かった。地下都市は未発掘のも含めたくさんあるが、観光客に開放しているのは、このカイマクルとちょっと南にあるデリンユクの2ヵ所。15年前の見学がカイマクルだったので、デリンクユを見たかったが、今回も同じ所。 地下都市が作られたのは6世紀頃。キリスト教徒が異民族の襲撃から身を守るためだという。深さ100b以上、地下8階という気が遠くなるような穴の中に、15,000人が住んでいたと推測される。まだ発掘中なので、見学できるのは地下3階まで。ここには、生活するための必要最低限の設備があった。馬小屋・教会・学校・倉庫・ワイナリー・台所・寝室・墓地など。 空気と水と食べ物と汚水はどうしていたのか。空気についてはあちこちに通気孔が地表に向かってあいている。煙突の役もはたしたそうだ。水は地下水があったらしい。汚水を流す仕組みも出来ていた。「この地下でずっと生活していた」と書いてあるガイドブックもあるが、いつも地下で暮らしていたのではないような気がする。敵が押し寄せてくる情報がある時だけ、地下に隠れたのではないだろうか。そうでなければ野菜など作れない。ワイナリーがあってもブドウを栽培していなければ、どうしようもない。食糧の調達もできない。日光をまったく浴びずに健康な生活を送れるとは思えない。
(2008年9月16日 記) |