チュニジアの旅 3
第4の聖地・カイラワン

 首都チュニスから南150qにあるカイラワン(地図参照)は、メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐイスラム教第4の聖地です。メッカは、予言者ムハンマド(マホメット)がアラーの神から啓示を受けた地。メディナは、彼が迫害を逃れて移り住んだ地。エルサレムは3大宗教結集の地。3番目まではよく耳にしますが、カイラワンは、訪れるまで聞いたこともありませんでした。右写真は、カイラワンの大モスク。ほんとに、こんな青空でしたよ。

 ムハンマドがメッカからメディナに移った622年は、イスラム歴元年になっています。カイラワン建設は670年。イスラム教がアラビアで発生してから、わずか48年後に、チュニジアに進出したことになります。もちろん、アフリカでは最古。キリスト教が世界に広がるまでの年月を思うと、イスラム拡大の速さに驚いてしまいます。

 このモスクは9世紀の再建ですが、ローマ時代の石柱がたくさん使われています。左写真のように、様式や模様もまちまち。

 イスラムのモスクに、なぜローマ時代の柱が?ガイドのMoez君は、「建材がもともと足りないし、新しく作るには費用も労力もかかる。スベイトラやカルタゴには、ローマ時代の神殿がたくさんあるから、そこから分捕ってきた方が好都合なんです」と、こともなげ。異教徒の建物を無断借用する例は、エジプトやトルコでも見ました。異教徒のものなら、バチも当たらないのでしょうか。

 われわれ観光客は、モスクの内部に入れませんでした。右写真は、柵から身を乗り出すようにして撮影。柱がまちまちなのがおわかりですね。最奥に説教壇が見えます。

 スペインの旧モスクは、もちろん開放。イスラムが主流であるマレーシア、トルコ、エジプトでは、中に入ることが出来ました。外国人にスカーフを強要しているイランさえ、モスク入場が許されています。説教壇に座っている写真がアルバムに貼ってあります。

 なのに、なぜかここのモスクは、礼拝中でもないのに、見学御法度。第4の聖地の誇りなのかもしれません。

 これだけ聞くと、「チュニジアはイスラムの教えを厳格に守っているのだろう」と思ってしまいますが、とんでもない。寛容というか、緩やかというか、だらしないというか。酒は現地人も飲んでいます。スーパーマーケットには、ワインや缶ビールが堂々と、並んでいました。

 1日5回のお祈りすら、Moez君によれば「僕も友人もお祈りなどしないよ。もちろんモスクには行かない」。休日も、イスラム本来の金曜ではなく、西洋と同じ日曜とのこと。

 帰国の飛行機で隣に座った若者は、母がスエーデン人、父がチュニジア人。正月明けで、職場があるスエーデンに帰るところでしたが、自分ではムスリム(イスラム教徒)だと言いながらも「モスクなんか1度も行ったことがないよ」。キリスト教信者の母は、結婚後もイスラムに改宗しなくてすんだそうです。娘の高校時代の友達は、マレー系の人と結婚しましたが、彼女はイスラムに改宗せねばなりませんでした。この例と比較するまでもなく、チュニジアのイスラム教の寛容さがわかりますね。

 そんな中で、カイラワンは宗教都市だけあり、チュニスや地中海沿岸とは、雰囲気が違います。ひとことで言えば、イスラム色が濃いのです。

 左右の写真は、メディナの路上ですが、こんな服装の方ばかりでしたよ。

 旅行者の勝手な言い分ですが、イスラムの国に来たのに、すべてが西洋化されていたら、旅心は半減してしまいます。

 その点、カイラワンは、モスクといい、メディナといい、旅情が刺激されっぱなしでした。
(2004年2月2日 記)

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