<2002年12月28日〜2003年1月6日> 1 チュニジアってこんな国 2 チュニジアの景観 3 第4の聖地・カイラワン 4 イスラム教と写真 5 穴蔵住居 6 オアシスとナツメヤシ 7 砂漠とラクダ 8 羊を食べる前の儀式 9 カルタゴ 10 ローマ時代の遺跡 前 11 ローマ時代の遺跡 後 12 垣間見たチュニジア |
チュニジアの旅 1 チュニジアに行ったのは、1年前の正月休みですが、「どこにあるの?」「イラク攻撃が始まりそうなのに大丈夫?イスラムの国でしょ」「ワールドカップで日本が楽勝した国」「冬でも暑いんだろうね」が、おおかたの反応でした。 歴史好きの数人とは、「カルタゴだね。ハンニバルの戦記を読んでワクワクしたものだよ」「ローマ帝国の南端だから、遺跡が多いと聞いてる。行ってみたいな」と、話がはずみました。 旅行会社のパンフレットのコピーですが、右上地図をご覧ください。モロッコとチュニジアの間は空白になっていますが、アルジェリア。リビアの右隣は、エジプト。アルジェリアとリビアに囲まれた国というと、なにやら怖そうですが、のどかな雰囲気でした。 アフリカ大陸の国とはいえ、目の前がイタリアのシチリア島。武将・ハンニバルで有名なカルタゴは、チュニジアの海岸沿いにあった国です。ローマ帝国との数度にわたる戦いは、地理的にも納得できますね。 破れたカルタゴは、北アフリカの地中海沿岸すべての国に言えることですが、その後ローマ帝国に組み入れられました。そして、7世紀にはイスラム化して、今にいたっています。 左写真の男女は、いかにもイスラム風の服装をしていますが、全員ではありません。特に若い子は、西洋風。右のかわいい少女も、セーターとジーンズ。「撮っていいか」のしぐさをしたら、立ち止まってくれました。住所を聞く間もなく、さわやかに立ち去ってしまいました。 面積は日本の半分。人口は1000万人ぐらい。アラブ人が95%。他はヨーロッパ人やユダヤ人。宗教は、ほとんどがイスラム教のスンニ派。ユダヤ教とキリスト教も少々。 「冬でも暑いんだろうね」は、ノーです。12月の平均気温は、東京よりちょっと高め。降雨量にいたっては、東京の1.5倍もあります。暑い砂漠の国というイメージは、これで払拭されたでしょうか。もっとも私たちの旅行中は、一滴の雨も降らず、右写真のようなチュニジアンブルーの空を、毎日見上げていました。 左地図が観光で回った所。パリで乗り換えて、首都のチュニスに入りました。国内はバスでの移動。ほぼ一周して、チュニスからパリに戻りました。 直行便がないので、自宅を出てから、最初のホテルに落ち着くまで、約24時間。こんな強行軍に、いつまで体力がついていけるか、心配です。 日本人客は、ワールドカップ効果で急増していますが、2001年の統計では、ドイツ100万人、フランス80万人、イタリア32.2万人、スペイン8.6万人、近隣諸国150万人に対し、アメリカ・カナダ・日本の3国でも、わずか2.7万人。そんなこともあってか、日本語ガイドはいないし、日本語ガイドブックもありませんでした。 スルーガイドのMoez君は、フランス語、アラビア語はもちろん、英語、イタリア語もできるのに、日本語は片言すらダメでした。でもこの国は、GDPの30%が観光。日本人が増えるにつれて、日本語ガイドも、出てくることでしょう。 てんこ盛りの大ざっぱな内容で、写真も一貫性がなくバラバラになってしまいましたが、どんな国か、おわかりいただけましたか。詳細はおいおい書いていきます。(2004年1月9日 記) 感想・要望をどうぞ → 次へ ホームへ |