チュニジアの旅 5
穴倉住居

 チュニジアには、ベルベル人という原住民がいます。今や全人口の2%に過ぎず、固有の文化や言語も危うくなっていますが、彼らが長年住まいとしていた穴倉住居は、観光の目玉。「茶色の世界観光」が終わりに近づいた日に、彼らが多く住んでいるマトマタ(チュニジア1の地図参照)を訪ねました。ここには、穴倉住居が数100軒あったそうです。今も60軒ほど。

 大きな円形の穴がいくつもあいていて、高所から見ると、不思議な景色ですよ。機上から月のクレーターのように見えることから、映画「イングリッシュペイシェント」や「スターウオーズ」のロケ地に使われたそうです。ヴィデオを借りてこようと思いつつ、まだ見ていません。

 元はと言えば、アラブ人の侵入を避けるための隠れ家。異民族の襲撃から身を守る地下住居は、トルコでも見たことがあります。地下教会もたくさんありました。

 トルコの場合は、地下都市という表現がふさわしい大規模なもので、地上からは見えません。でもここマトマタの場合は、いくつもの大きな穴があいているので、敵は見つけやすかったのではないでしょうか。

 右上と左の写真で、おわかりかと思いますが、地面を数b掘り下げ、さらに側面を掘り進めるやり方です。土地はいくらでもあるので、幾部屋も作ることが出来ます。

 穴倉と聞くと、猿人や原人の洞窟を思い浮かべてしまいますが、どうしてどうして、わがウサギ小屋より立派。乾燥地帯なので、湿気なし。夏の強い日差しを避けることが可能。冬は保温性抜群と良いことずくめ。理想の住居。近代化に伴い、政府がコンクリートのアパートを建設しましたが、穴の方が快適だと、元に戻った人も多いと聞きました。

 観光客に開放している家は何軒もありますが、訪れたのはファティマさんの家。ちなみに、ファティマはムハンマドの娘の名前なので、イスラムの国には多い名前。ベルベル人が、アラビア人に同化しているひとつの証拠になりますね。

 ファティマさんは、1960年代に夫を亡くしました。収入を得るために、自分の住居を開放することを思いつきました。それが大当たり。この時は88歳でしたが、民族衣装を着こなし、髪も染めていてなかなかのお洒落さん。

 台所、ベッドルーム、居間などすべて見せてくれたうえに、デモンストレーションに石臼まで回してくれました。(左写真)

 ちょっと寄るだけの観光客が、どんなことを喜ぶかよくご存じの様子。


 右下の写真をごらんください。住宅メーカーのモデルルームと同じで、綺麗すぎ。生活している様子はうかがえません。実際の住まいは、他にあると睨みました。

 「この家の見学にいくら払ったのですか」と添乗員に聞いたところ「10ディナールですよ」の答えでした。牛肉が1s(100cではありませんよ)で、1ディナール以下の国。10ディナールをご想像ください。

 自宅を開放することを思いついた若きファティマさんはスゴイ!そして、サービス精神をずっと忘れないファティマ婆さんはもっとスゴイ!

 モロッコやアルジェリアには、多くのベルベル人が住んでいると聞きました。彼らがアメリカのインディアン、オーストラリアのアボリジニ、日本のアイヌのような運命をたどらないで欲しいですね。

 原住民の本音はどうなのでしょう。彼らの気持ちを聞きもしないで、「滅びないで欲しい」の言い分は、身勝手なような気もしてきました。(2004年3月2日 記)

感想・要望をどうぞ→

チュニジアの旅 1へ
次(チュニジアの旅6)へ
ホームへ