チュニジアの旅 8
羊を食べる前の儀式


 マント姿の羊飼いの男が家路につく光景は、それはそれは感動的でした。

 夕日を背にした羊と羊飼いのシルエットは、いまだに瞼に浮かびます。

 どうせうまく撮れないだろうと、カメラを押さなかったのは今思うと残念。右はバスが一瞬止まった時に撮った夕日です。

  下の写真は、道路を急いで渡り終わった羊たちと、長いマントの男。彼は博物館の番人ですが、羊飼いの姿もこんな風でした。この3枚の写真で、夕日と羊と羊飼いのシルエットをご想像ください。ちょっと無理かしら。
 




 
 









 感動シーンの後にナンですが、羊を食べる前の儀式の話をしようと思います。場所は忘れてしまいましたが、沿道に焼き肉屋が何軒も並んでいました。ガイドのMoez君は、数えた事があるらしく「47軒もあるんだ」。この時も、バスがかなりのスピードで走っている時だったので、シャッターを押せませんでした。

 屋台程度の簡単な焼き肉屋には、羊の皮が干してあり、「今殺したばかりの新鮮な肉だよ!」を強調しているかのようでした。そして、焼き肉予備軍の数頭の羊が繋がれています。下を向いて草を食べている羊は見慣れていますが、ただ繋がれていると、数頭でおしゃべりをしているような楽しげな雰囲気。これから人間サマの口に入るとは、夢にも思っていない様子。「あの羊が食べたい!」の所望があってから殺すのかもしれませんね。寿司屋に生け簀があり、「あの鯛を調理して!」と同じだと思えば、なんら不思議はありませんが。
 
 ムスリム(イスラム教徒)は、たとえ日本にいてさえ、祈りの儀式をすませた肉(ハラルミート)以外は口にしない・・と聞いたことがあります。「どんな儀式をするんだろう」と前から興味があったので、Moez君に聞いてみました。「店先の羊を殺すんでしょう。一軒ごとに、聖職者がいるわけないのに、どうやってお祈りするの?」

 「1頭ごとに、『神の名において』」と唱えます。メッカの方に向かせて喉元に包丁をグサッ。血を流し終えた後に解体。神から与えられた生き物だから、『神の名において』と唱えるんです。お祈りと屠殺は、聖職者でなくてもいいのです。ただし子どもはダメ。20歳以上の大人がする決まりです。」と、答えてくれました。

 ハラルミートは、こんな儀式でいいのです。なあんだと思ってしまいますね。「神の名において」は、ずいぶん都合の良い言葉だと、信仰を持たない私は、妙に感心してしまいました。

 左写真は、タメルザ(4W車に乗り換え後、走り回った砂漠地帯にある町)の高級ホテルの庭で焼いていた羊の丸焼き。私たちは、このホテルのレストランで普通のチュニジア料理を食べたので、香ばしい匂いをかいだだけで、口にしませんでした。日本なら捨ててしまいそうな部位も、全部焼いていましたよ。

 ところで、チュニジアでは羊肉がいちばん上等で値段も高いとか。1sで7〜9ディナール。鶏肉は2ディナール。牛肉がいちばん安くて1ディナール以下。1ディナールは約90円。

 なんと牛肉100cで約9円です。この安い牛肉は何度も食卓に出ましたが、まずくはありませんでしたよ。イスラムの国では、豚は御法度ですから、豚肉の値段など話題にも出ませんでした。(2004年5月2日 記)

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