チュニジアの旅 9
カルタゴ

 首都チュニスから12qにあるカルタゴは、地中海に面した高級住宅地。大統領官邸や高官の邸宅が並んでいます。アラブ独特の扉(右写真)がなければ、フランスやイタリアの避暑地と勘違いしてしまいます。

 「チュニジアに行く」と話したときに、「カルタゴだね」と反応してくれた方が数人いました。この場合は、今のカルタゴではなく、約2800年前のカルタゴです。

 カルタゴは、フェニキアの女王エリッサがBC814年に建国。フェニキア文字がアルファベットの基になったほど、高度に発達した国でしたが、BC146年に滅亡。いまだにカルタゴが有名なのは、ローマとの3次にわたるポエニ戦争が熾烈だったからでしょうか。塩野七生著「ローマ人の物語U」は、全部ポエニ戦争の記述。「ハンニバル戦記」の副題がついています。

 海上貿易や農業で繁栄していたカルタゴと、地中海に乗り出したローマとの対立は避けられないものになりました。主にシチリアの権益をめぐっての衝突でした。ローマ・カルタゴ・シチリアの関係がピンとこなかったのですが、行ってみて「なるほど」。(チュニジアの旅1の地図参照)。シチリアは、チュニジアとイタリアの中間にある島です。

 BC218年、カルタゴの名将 ハンニバルは、海路では不利と見て、陸路でアルプスを越えてローマに侵入しました。象を先頭にしてのアルプス踏破は、子どもの頃に挿絵で見ましたが、勇壮そのもの。ハンニバルが大勝利をおさめた戦いは、第二次ポエニ戦争と呼ばれ、2000年以上経た今でも、語り継がれています。

 奇襲作戦は、いつの時代、どこの国の話でも戦争でありながら、喝采したい気持ちになります。象がアルプスを越えた作戦は、源義経が馬で「ひよどり越え」をした作戦に通じますが、義経がハンニバルを知るはずもなく、名将の考えることは同じなのですね。

 第2次ポエニ戦争で輝かしい成果を残しながらも、最終的な第3次ポエニ戦争で、ローマのスキピオに完敗。カルタゴは、穀物すら作れないほど破壊されました。「チュニジアの旅8」までお読みくださった方から、次のようなメールをもらいました。

 「海の挽歌」(著者:阿刀田 高)を読みましたが、“もしハンニバルがローマに勝っていたら、古代ローマは存在せず、世界の歴史は大きく変わっていたであろう”という一節がありました。

 歴史に「・・たら」「・・れば」は禁句だと言う人もいますが、ハンニバルがそれだけ偉大だったということですね。しかも、彼は、5ディナール紙幣(左上写真)に使われています。2000年以上前の敗者であり、今のチュニジア人と人種的に異なっている事を考えると、不思議な気さえします。

 祖先が破壊尽くした地に、ローマ帝国は植民都市を建設。100年以上経ったBC29年のことです。ローマ、アレキサンドリア(エジプト)に次ぐ第3の都市に発展しましたが、ローマ帝国の滅亡、アラブ人の侵入で再び廃墟に。長年忘れられた地でしたが、高級住宅地に変貌を遂げました。

 当然ながら、カルタゴの遺跡は、ほとんどありません。わずかな遺跡のひとつが、左写真の住居跡。ローマ人の住居跡と比べると一目瞭然。壁が厚くて、ひとつの部屋が狭いなど、工法はやや遅れていますが、各家に風呂や貯水槽があり、高度な生活をしていたことがわかります。

 まったくないと思われていたカルタゴの住居跡が見つかり、学者は、嬉しかったに違いないと、遺跡を前にして思いました。

 右は、ポエニ人の墓。カルタゴでは幼児生け贄の習慣があった・・の根拠になっている遺跡。幼児の骨がまとまって発見されたからですが、はっきりしたことはわかりません。

 カルタゴ時代の商業港と軍港は同じ場所にあり、今でも原型をとどめています。右絵はがきの円形の部分が軍港。手前が商業港。最大220隻が入港できる巨大軍港は、敵には知られたくありません。商業港を手前にして、隠していました。

 ところが、第3次ポエニ戦争では、見えないはずの軍港が攻撃され、敗戦にまっしぐら。隠したつもりが、丸見えだったのですね。二重の港の様子は、普通に写したのではわかりにくいので、絵はがきを買いました。

 ローマ時代の生活は、アントニヌスの共同浴場などで、偲ぶことができます。アントニヌス・ピウス(138年〜162年在)は、5賢帝のひとり。

 当時の建物は、2階建て。更衣室、温浴、水風呂、サウナ、プール、噴水、談話室など100以上の部屋があった豪華版。1980年代にユネスコの協力で一部が修復されています。地中海を臨む広大な施設でした。「海が見える露天風呂」の、大規模で豪華なものだとご想像ください。左は、浴場跡から見たチュニス湾。「絵はがきのようにきれい」ですが、絵はがきではありません。

 ローマ時代の遺跡は、他にもたくさんあります。詳しくは次の項で。(2004年6月2日 記)
 
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