ベトナム縦断の旅3
 ミーソン遺跡とホイアン

2010年3月29日(月)−5日目

灯篭流し ハノイ、ハロン湾、フエと南下して、ホイアンベトナム縦断の旅1の地図参照)まできた。夕方6時20分にホテル到着。ホテル内のレストランで夕食後、夜の町に繰り出した。

 ホイアンでは、旧暦の14日・満月の夜に夜祭りが行われる。ツアーの日程は満月にあわせているが、見えない日もあるはずだ。今夜は煌々と輝いていた。 町の電気はすべて消され、軒先に無数のランタンが下がっていた。暗闇にホイアン川の灯籠(左)がほんのり点る。「子どものころに見た灯篭流しもこんな風に情緒があったなあ」と、感傷にひたりながらの散策は楽しかった。 <ホイアンのホイアンホテル泊>

3月30日(火)-6日目

分水嶺のハイヴァン峠を通り過ぎたからだろうか、今日は朝から晴天だ。今までは傘こそ使わなかったが、いつもどんよりしていた。

 まずホイアンから40分ほどの郊外、ミーソン遺跡へ向かった。2世紀から15世紀にかけて中部一帯に築かれた「チャンパ王国」の遺跡だ。1890年にフランス人が電話線の工事をしていたときに発見し、1999年に世界遺産になった。

 フランスの研究者が遺跡をAからHまで分類したが、今ある遺跡はBCDだけ。ほかの遺跡はベトナム戦争で 破壊されてしまった。残された遺跡にも弾丸のあとがあった。戦争ほどバカバカしいものはないといつも思うのだが、人類は永遠に戦いを繰り返している。

ミーソン遺跡バスを降りてジャングルを5分ほど歩くと、濃い緑の中に赤銅色の伽藍(左)が見えてきた。近づくにすれ、今にも崩れそうなことが分かる。私は修復した遺跡よりも、朽ちかけた遺跡が好きだから嬉しかった。

 この光景は、タイのアユタヤやカンボジアのアンコールワットに似ている。

 山型の遺跡はヒンズー教の聖なる山(須弥山)になぞらえているそうだ。インドで見慣れたヒンズー教の最高神のシヴァ神の像もある。チャンパ王国ではヒンズー教が信じられていたというが、それにしてはシヴァ神の顔が削られていたりする。

 ホイアンに戻って昼食後、郊外の田んぼの中にぽつんとある日本人の墓に行った。1647年に亡くなった谷弥次郎兵衛の墓。江戸時代初期には、、1000人も日本人がホイアンに住んでいたというが、それにしては墓が谷さん1人は寂しい。墓はともかく、ヤシの木と田んぼの組み合わせや、菅笠と天秤姿は、日本では見かけないだけに、ここに来て満足。

 線香を持った墓守がいた。「あらあ、日本人の墓を守ってくれる人がいるのね。有り難いわね」と話す人がいた。でもその墓守は、チップを要求した。感激していた人はがっかりしていたが、私みたいにひねくれていると、縁もゆかりもないベトナム人が、日本人の墓守などするはずがないと、最初からしらけている。もっともこの辺りの農民はとても貧しい。米の輸出で稼いだ外貨は農民に還元されないらしい。それを聞くと、臨時墓守をしたくなる気持ちもわかる。

谷弥次郎兵衛の墓 ヤシの木と田んぼ 菅笠と天秤
谷弥次郎兵衛の墓  ヤシの木と田んぼ  菅笠と天秤姿の女性 

ホイアンは、チャンパ王国時代からグエン朝時代に中国・イスラム・インドを結ぶ海上貿易の中心として栄えていた。16〜17世紀には朱印船貿易にかかわった日本人が1000人以上住んでいた。鎖国で日本人町は廃れてしまい、今の町並みは華僑が作ったものだ。旧市街はまるごと世界遺産に指定されている。

 町に戻って、徒歩で観光。昨夜と同じ所だが夜とはまったく別の顔だ。まず日本人橋へ。来遠橋が本当の名前だが、もともとは、ホイアンに住む日本人が対岸の中国人街と結ぶ目的で建設したので、日本人にはこの名前で説明しているようだ。木造で屋根がついている橋で立派だ。

次はフンフンの家という古い家を見学した。狭い入り口と深い奥行き、黒っぽい木材は京都の町家を思わせた。今は8代目が暮らしている。屋根は日本風、バルコニーは中国風、扉や壁はベトナム風といろいろな様式がミックスされている。

次は陶磁貿易博物館へ。海のシルクロード博物館とも言われ、海を渡ってきた青磁・白磁が展示されている、古伊万里や備前焼も展示してあった。いずれもこの辺りで発掘されたという。

日本人橋 店先の犬 歩行者
日本人橋  店先で犬が寝そべっている  こういう姿の人がほとんどだ 
屋根瓦 おばあさん おばあさん
瓦屋根がとてもきれいだ  物売りのおばあさん  物売りのおばあさん 


 私はズンさんの説明よりも、2階からの眺めに心を奪われていた。瓦の甍が美しい。道を歩いていただけではこの甍の波を見ることは出来ないので、2階に上ることをお奨めする。道路に目を向けると、ノンをかぶり天秤をかついだ女性が通り過ぎる。観光の欧米人も楽しそうに歩いている。土産物屋のグッズもセンスがいい。

 馬籠宿に泊まったときの民宿の2階からの眺めと似ている。欧米人がそぞろ歩きをしている点も同じだ。馬籠にはノンと天秤姿の女性がいない。お願いだから、ノンをやめて西洋の帽子など被らないで欲しい。ノンを被っている女性がいなかったら旅情は半減する。

次は福建会館。17世紀に渡来した華僑の集会場。海の女神の天后聖母が祀られている。渦巻きの線香が印象的。線香に願い事をはって線香が燃え尽きると願いが叶う。ツアーの同行者もたくさん願い事を書いていた。

ここでフリータイム。ホテルは歩いても近いので、迷うことはない。1時間ちょっとの自由時間で、ノンを被った天秤棒を担いだ女性たちの姿をたくさんカメラに収めることができた。背景の古い家も申し分ない。   
 <ホイアンのホイアンホテル泊>   (2011年8月16日 記)


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