ベトナム縦断の旅6 
 クチの地下トンネルとホーチミン市内

2010年4月2日(土)−9日目

ゴム園ホーチミンから北西に70`、バスで2時間ほどのクチに向かう。途中でフランスのプランテーションだったゴム園(左)に立ち寄った。東南アジアを何度か訪れている私には珍しくもないゴムの木だが、すでに100ヵ国以上旅行しているSさんが、ゴム林に大感激。

 Sさんはイスラエルの旅で一緒になり、仙台の高校の後輩と分かった人だ。偶然今回の旅でも一緒になった。「近場はもっと歳をとってからでいい」と、アジアは初めてだという。感激する対象が人によって違うのだと改めて気づかされた。

クチはベトナム戦争時に地下トンネルがあったことで有名だが、もともとは、豊かな農村地帯。地下トンネルのある敷地には、ザボン・ドリアン・ミルクフルーツ・ジャックフルーツなどがたわわに実っていた。

トンネルを掘り始めたのは1948年。最初はフランスとの戦いのために1階建てのトンネルだったが、アメリカ軍の攻撃を避けるために、ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)によって、3階建て約8bもの深さのトンネルが作られた。全長250`にも及んでいたというから驚く。ベトコンというゲリラ兵の名が一躍有名になったトンネルでもある。

ベトナム戦争と地下トンネルの概要について、ビデオを見たあとで、見学者用の狭いトンネルに入った。階段は1人がやっと。通路は少し広げてあるらしいが、腰を屈めて歩かなければならない。トンネル内にいたのはせいぜい5分ほどだったが、もうこれ以上いたくない。

これだけでもイヤなのに、当時のままのトンネルに入った2人がいた。1人は、蛇を首に巻き付けたHさん。心配して見守った私たちは、まず頭が見えたのでほっとした。Hさんは細身だから良いようなものの、小錦だったら絶対に入れない。もっともベトコンに限らず、ベトナム人にデブはいない。

地下トンネルから顔を出したHさん 落とし穴 ベトコンの服装
小さな穴を通り抜けたHさん  草で覆われている巧妙な落とし穴  ベトコンの服装をしているが、彼女らは戦争を知らない。 

他に落とし穴や仕掛け穴、作戦本部、台所などを見学した。煙が敵に知られないように分散して地上に出る仕組みや、燃えにくい葉を屋根に使うなどベトコン達の生活の知恵が生かされている。これらの知恵があったればこそ、アメリカの軍事力に勝った。小が大を制するのは、なんであれ小気味よい。

こんな不便な生活を続けてまでアメリカに対抗したベトコン達の気持ちを知りたい。昔のベトコン達と話せる場が欲しかった。沖縄のひめゆり部隊が語っているように、彼らもこういう施設で語って欲しい。観光名所になっているクチトンネルを、彼らはどんな思いで見ているのだろう。

ホーチミンに戻り昼食後は、市内見物。まず訪れたのは戦争証跡博物館。10年前よりずっと立派になっている。新しく立て直したそうだ。名前のとおり、インドシナ戦争やベトナム戦争に関する資料を展示している。屋外には戦車や戦闘機などが置いてあった。型式などに興味はないが、これが実際の戦場で活躍したのかと思うと、見逃せない。

戦争博物館 逃げる子供たち ホーチミン
立派になった戦争証跡博物館  中央にいる少女はお母さんになった。  勝利宣言のホーチミン 


 内部展示はユイさんが説明してくれたが、なんせ若いから、説明はなんとなく空々しい。私たちの方があのころの空気は知っている。同行者には報道記者としてサイゴンを取材した人もいた。むしろ彼の説明を聞きたいほどだ。石川文洋や沢田教一の写真は胸をうつ。以前に見たギロチンや二重胎児のホルマリン漬けなどは、新しい建物ではなく古い建物にある。あまりアメリカを刺激したくないのだろうか。

添乗員のOさんは、ユイさんと同年齢。「日本ではベトナム戦争にどういう立場をとっていたんですか」と私たちに質問する。「そりゃ安保条約があるから、沖縄にはベトナムに向かう兵士がたくさんいたのよ。でも、“ベトナムに平和を”と唱える団体・ベ平連という組織もあってデモも盛んだったよ。ベトナム戦争を通して平和を語る若者もたくさんいた」と話した。

ユイさんは「若者はみんなアメリカに憧れています。アメリカが大好きなんです」と話す。ベトナムが可哀想で、アメリカの空爆を憎んだ私たちは、いったいなんだったのと思ってしまう。もっとも、アメリカが大好きだというベトナムの若者を非難することはできない。日本人も原爆を落としたアメリカを憎むどころか、一瞬にして憧れの対象になったのだから。

次は聖母マリア教会へ。サイゴンがフランスに支配されていたころの名残のカトリック教会。米軍も教会破壊を避けたのか、1883年建造当時のまま。

 次は道路をはさんで向かい側にある中央郵便局へ。これもフランス統治時代1891年に建てられてもの。ガラスの天蓋と鉄の骨組みが印象的だ。ホーチミンの大きな肖像画が正面に飾ってある。ドイモイ政策で経済は自由化されたが、やはりここは社会主義の国なのだ。

次に訪れたベンタイン市場で1時間のフリータイム。10年前に来たときはホテルがここに近かったこともあり、朝な夕なに寄って「又来たねえ〜」と店員にからかわれたものだ。それだけ安くて可愛らしい雑貨が豊富にあった。それがどうだろう。品物の豊富さは同じだが、値段が高い。店員も必死というよりがめつくて感じが悪い。そんな事を言いながらも、やっぱり小物が欲しくて買ってしまった。

 残りの時間は市場内で休憩。この時もHさんの腕をつかんで「飲んでいけ」という仕草。どうせ飲もうと思ったから良かったようなものの、しつこい。Hさんはお人好しに見られるらしく、私たちの腕はつかまないのにHさんの腕はつかむ。実はこのあとにHさんはマンゴスチンをたくさん買ったのだが、市場の女の子がなにやら寄ってきてビニール袋を開けて、どうどうと10個ぐらい持っていってしまった。それを見ていた他の女の子も群がってきて、マンゴスチンの半分以上が、白昼堂々の泥棒に盗まれてしまった。

修道女 郵便局内部 ペンタイン市場
聖母マリア教会 の前にいた修道女 郵便局の内部。ホーチミンの肖像画がある。  商品山積みのペンタイン市場 

次に行ったのは国営デパート。1階にはブランドの化粧品などが並び、7%の経済成長はほんとなのだと思える品揃えだった。その2階にあるスーパーマーケットに行った。実はユイさんから「ベンタイン市場は観光客用値段だから高くなっています。スーパーが安いですよ」と聞いていた。スーパーより市場が安いのは世界共通だと思っていたので半信半疑だったが、ユイさんの話はホントだった。刺繍製品も食料品も、市場よりずっと安かった。

夕食後に戻ったホテルのブティックに、同行者の女性数人が群がっていた。きのう、洋服をオーダーしてもらったという。みなさんが頼んだ麻のパンツやブラウスはとてもデザインが良い。オーダーメイドにしては値段も安い。つられて私も麻のパンツ1枚とブラウスを2枚オーダーした。オーダー以外に、身体にぴったりあうシルクの洋服も買ってしまった。この夏は日本では何も買わないぞと決心した。明日の夕方には出来上がるという。一流ホテルに入っているブティックだから、まさか騙すことはないだろう。    <ホーチミンのルネッサンスリバーサイドホテル泊>  (2011年10月2日 記)


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