ヴェネツィアの旅5 
 4つの島

2013年3月23日(土)-6日目

今日はチャーター水上バスを使って、4つの島を巡る。サンマルコ広場近くの桟橋から40分間乗って、サン・フランチェスコ・デル・デゼット島に着いた。この島を訪れる日本のツアーはほとんどないという。聞いたこともない静かな島だ。

島のオブジェ 修道士 修道院
2つの手のモニュメント

 
案内してくれた修道士 

キリストの磔刑

 


アッシジのサン・フランチェスコが13世紀に修道院を建てた。その後しばらくは修道士たちが生活していたが、のちに荒れ果ててしまった。今は6人の修道士が住んでいて、自給自足の生活をしている。

「修道士が案内します」とうたってあったが、彼はついて歩くだけ。説明はMARIKOさんがしてくれた。修道士の話は聞けなかったが、古びた修道院と僧衣がマッチしてステキだった。

次はブラーノ島。カラフルに塗られた家並みとレースで有名な島である。ピンクや青や緑や黄色や赤などいずれも原色。漁師たちが海上から自分の家を見分けられるようにとペイントしたからだという。毎日こんな色に囲まれて生活していたら嫌になるが、観光として訪れるにはいい。運河にカラフルな家が水面に映り、それだけでアートだ。

レースの店に寄ったが、ほとんどが中国製だとガイドブックにも書いてある。ブラーノ島製のはとてつもなく高いらしいし、たとえ安くても要らない。

カラフルな家 カラフルな家 カラフルな家
どの家もカラフル 
運河に映る家はアートだ 
島のおじいさん2人
 

サンタマリア・アッスンタ聖堂次はトルチェッロ島に上陸した。ヴェネティア沖のラグーン(干潟)には、たくさんの島があるが、ここは最初に人が住みついたところだ。以前は繁栄したらしいが、15世紀にマラリアの流行で衰退。今は観光客が訪れるだけだ。

運河を右に見て1本道をしばし歩き、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂(左)に着いた。壁や天井は黄金のモザイクで埋め尽くされて、床も豪華なモザイク模様である。もちろん聖書にちなんだ絵だが、撮影禁止。「たくさん見たモザイクの中でも、ここのは素晴らしかった」ことは思い出せるが、細部は覚えてない。

昼食はこの島のレストラン「LOKANDA  CIPRIANO」で。ダイアナ妃やヘミングウェイも訪れた有名な店だ。食前酒のベリーニ、イカのイカ墨あえ、スズキのグリル、パスタ、プディング風マカロンケーキ。いずれも美味だった。酒のベリーニは、ヴェネツイアルネッサンスの画家の名前からとった。カルパッチョも画家の名前。このときの料理は次の項で。

ガラスづくり私が来る前に唯一知っていたのが、最後に訪れたガラスづくりのムラーノ島だ。前にヴェネツイアに来たときはわずか1泊。ムラーノ島に思いを残してヴェネティアを去った。

1291年というからずいぶん古い話だが、ガラスづくりの秘法の流出を防ぐために、本島にあったガラス工場と職人を移住させたことに始まる。なんということはない、隔離されたのである。

行ってみれば、面白い島ではなかった。ガラス工場で職人が馬の置物を作る技(左)を見学。こんな技術は日本でもよく見る。ヴェネチアングラスはすでに持っているし、これ以上欲しくないので売店を見てもワクワクしない。

ところで今日訪れたのもラグーンに作られた島だが、本島も海の上に作られた都市だ。すこしずつ沈んでいるという話も聞くが、1000年以上も安泰だ。

ヴェネツイア人の祖先はヴェネト地方に住んでいたが、フン族が侵入して追い出されてしまった。逃げたところが葦だけが茂っている干潟。ほかに行く所がないので、苦肉の策として、ここに本格的な都市を建設した。

今のヴェネツイアはヴェネト州の州都である。州都とはいえ、イタリア本土とは4qも離れ、リベルタ橋で繋がっている。118の島が400の橋で結ばれ160の運河が張り巡らされている。なぜ干潟を埋めた地が、沈まないのだろう。ほとんど空き地がない市街地に、住民より多い観光客が押しかけている。その重さに何百年も耐えられたのはなぜだろう。

長い間の疑問をMARIKOさんにぶつけてみた。「ヴェネツイアの70%が埋立地ですが、埋め立ての技術が良かったのです。カラマツや樫の木を鉛筆みたいにして、海底の粘土層に打ち込みます。その上に石やレンガを積みます。どうしても隙間が出てくるのでそれが運河になりました。木は空気が遮断されると腐らないんです」

この説明を聞いて、運河や島が多い理由は分かったが、脆弱な地盤であることは確かだ。

かつらを被ったコンサートホテルに帰ってきたら、Jさん姉妹が夜のコンサートに行くと話している。私たちも行ってみることにした。泊まっているホテルは本島の便利な場所にあるので、夜の外出も苦にならない。歩いて10分ほどの教会付属の会館「Scuola  Grande di San Teodoro」でバロックオペラのコンサートを聴いた。観光客向けだから「フィガロの結婚」「トラヴィアータ」など聴きなれた曲ばかり。

ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエ、クラリネットの演奏で、かつらを被ったソプラノ、アルト、テノール、バリトンの歌手が高らかに唄った。こじんまりした会場なので、入場してくる歌手と目があうなどフレンドリーな雰囲気で楽しかった。ヴェネツイア最後の夜はこんな風にして過ぎた。

雨に濡れた石畳入場を待っている間に、後ろにいた日本人の若いカップルに話しかけた。「どこから来たの」「仙台です」。なんと私と夫が卒業した大学の後輩だった。お互いに奇遇に喜んで話がはずんだ。あとで思ったのだが、コーヒーぐらいおごればよかった。翌朝は早いし、学生はメストレという鉄道の駅近くまで帰らねばならないので思いつかなかったのだ。

夕方降り出した雨脚は強くなっている。でも雨に濡れた石畳の雰囲気が非常に良かった。
     <ヴェネツイアのカ・アルヴィゼ泊>

3月24日(日)・25日(月)-7日目・8日目

マルコポーロ空港発(10時10分)→チューリッヒ着(11時20分)
チューリッヒ発(13時)→25日成田着(8時55分)  
                                            
                              (2014年5月16日 記)

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