ヴェネツイアの旅1
2013年3月18日(月)-1日目
20年数年前のイタリア周遊の旅のときに、ヴェネツイアに1泊したことがある。いつの日かゆっくり訪れたいと思っていた。夫も出張先で寄り道しただけだと言う。ということで、ヴェネツイアだけに6泊する旅に参加した。
成田発(11時15分)→スイスエアでチューリッヒ着(15時50分) 飛行時間は12時間35分
チューリッヒ発(17時40分)→ヴェネツイア着(18時45分)
乗継時間が少なかったので、さほどの疲れもなく、ヴェネツイアのマルコポーロ空港に着いた。ヨーロッパの空港には、有名人の名がついていることが多い。マルコポーロは、1254年にヴェネツイア商人の子として生まれた。父と訪れた中国の元で皇帝フビライに重用され「東方見聞録」を書いた。黄金の国ジパングも、この本に出てくる。
ヴェネツイア本島では、車もオートバイも自転車すら使えない。徒歩以外の移動は、水上バスか水上タクシー。空港から歩いて8分の桟橋に、水上タクシーが待っていた。荒れた天気でもないのに、船は揺れるし岩にぶつかったようなゴトゴト音がする。日没後の暗さと相まって少し怖い。
でも馴染みのリアルト橋をくぐるころから、旅情が高まってきた。水の都に来たのだ。小さな桟橋を降りて数分歩くとホテルがあった。ホテル脇の運河には、建物の灯りがほのかに映っていた(左)。
今日を含め6連泊するホテルは4つ星。部屋数が20ほどしかない小さなホテルだ。もちろんエレベーターなどない。私たちの部屋は4階にあった。「ご夫婦とも足が達者のように見えたので、4階にしました。1週間もすみません」と添乗員が謝る。日頃エスカレーターを使わないようにしているので、この程度はまったく辛くない。添乗員の推測は当たっている。
ホテル全体が小さい割には、部屋は広かった。ヴェネツイアングラスのシャンデリアがあり、ベッドにも金色の枠がついているなど一見豪華。 <ヴェネツイアのカ・アルヴィゼ泊>
3月19日(火)-2日目
出発は8時半。長旅の翌朝の割には、早い出発だ。MARIKOさんという日本人ガイドがホテルまで迎えに来てくれた。イタリア人と結婚してヴェネツイア在住30年。「みなさん運がいいですねえ。今日は青空ですが、夜中に大雨が降ったんですよ」と言う。
予約してあるアカデミア美術館へ徒歩で向かう。これ以後何度も通ることになるサンタンジェロ広場を通過。「広場に敷き詰めてある石は1700年代のものです」とMARIKOさん。そうか、私たちは300年前の人が踏みしめた道を歩いている。やっと2人が通れるような抜け道路地を歩きながら、「あのちょっと傾いている教会は○○」「あれは元の××」など言うが、聞いただけでは頭に入らない。ヴェネツイア本島には教会だけで100以上もある。
木造のアカデミア橋(上の地図@)でカメラストップした。大運河の煌めき、遠くに見える丸屋根建物のシルエット(左)。逆光ゆえに美しさが際立つ。あとで分かったのだが、丸屋根はサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(上の地図のA)。金色の球がついている建物は、旧税関を改修した美術館。何も分からずにカメラにおさめたが、帰国後に写真を見て分かった。
アカデミア美術館(左・上の地図のB)は、14世紀から18世紀のヴェネツイア派絵画を展示している。この美術館を見れば、ヴェネツイアルネッサンスを理解できるという。ルネッサンス絵画としては、フィレンツエと並ぶ。
初期の頃の宗教画は構図も決まっていて遠近法も使われてなかったが、ベリーニの頃から人間らしい描写になっていく。カルパッチョ、ジョルジョーネ、ロレンツオ・ロット、ティツイアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼと続く。
ピエタ・聖母被昇天・洗礼者ヨハネ・エジプトへの逃避・十字架降下など、聖書を題材にした絵がほとんどで、私はさほど感動しない。でもベリーニの「サンマルコ広場の祝祭行列」には目を見張った。今のサンマルコ広場に時計塔がないだけでほとんど同じだからだ。
ティントレットによる「聖マルコの奇蹟」「聖マルコの遺骸の移送」も、ヴェネツイアならではの題材で印象に残っている。聖マルコは、エジプトのアレキサンドリアで亡くなった。9世紀にマルコの遺骸をヴェネツイアに運び、街の聖人にした。「こんなことまでして聖人にするの!」と、私はいつものように半ばあきれながら説明を聞いている。でも、イスラム国家になったエジプトで、キリスト教の聖人は大事にされなかったろう。マルコにとってもヴェネツイアにとっても良かったのかもしれない。
入館が早かったので、絵を鑑賞するには良い雰囲気だったが、撮影が禁止。残念ながら細部を思い出せない。
アカデミア橋(左)から水上バスに乗車。今日から3日間乗り放題できるヴァポレットというチケットを渡された。各駅停車のバスと快速バスの2種類ある。これ以後自由時間をふくめ、何度もヴァポットを使った。「この水上バスは地元の人の足でもあるんです。観光シーズンになると地元の人は大迷惑。夏になると4000人乗りの船が5隻も一度に入ってくることがあるそうだ。
「日本人は行儀がいいですが、中国人やロシア人の態度が悪い。地元の人は”出ていけ”と怒鳴ることもあります。イタリア語だから観光客は分かりませんが」とMARIKOさんが言う。観光で成り立っている都市なのに、観光客の悪口を言うのはどうかと思う。私たちだって、何を言われているか分かったものじゃない。
水上バスを降りてフェニーチェ劇場(上の地図のC)に行った。帰国直後の2013年の4月、フェニーチェ劇場の「オテロ」が東京と大阪で上演された。ヴェルディ生誕200年記念。
ヴェネツイアは国が豊かだったうえに、船大工の技術がオペラの舞台作りを可能にし、オペラの大衆化に貢献した。
フェニーチェは英語のフェニックス。1790年に作られた劇場は何度も火災にあったが、文字通り不死鳥のように蘇った。私たちが見学した豪華な内部(左)は、2003年に再建されたばかり。
ヴェネツイア名物のカーニバルのときは、劇場の椅子を取り払い、舞踏会の会場になる。本物の馬も登場するそうだ。
劇場近くにあるレストランで昼食。イカ墨スパゲッティと魚介類のフリッター。同行者のほとんどから「おいしくない」「茹ですぎ」など声があがった。日本のイタリア料理の質がとても上がっているので、日本人の口は肥えている。
午後はドウカーレ宮殿(上の地図のD)。この宮殿はヴェネツイア共和国の政治の中心で、総督の住居も兼ねていた。ヴェネツイアは5世紀に誕生、8世紀に独立後1000年も続いた共和国だ。今のヴェネツイアはイタリアの1都市にすぎないが、当時はイタリアという国はなかった。
ヴェネツイア最盛期の15世紀には、本島以外に、コンスタンチノーブル、クレタ島、ジェノヴァ、パドヴァなどを支配下に置いていた。16世紀頃から衰え始めるが、外国の支配は受けなかった。1797年のナポレオン軍侵入でついに幕を閉じる。それまで政治の中心だったところが、ドウカーレ宮殿だ。
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ドウカーレ宮殿の中庭
巨人の階段には軍神と
海神の像がある
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宮殿内部は撮影禁止だが
ここ「黄金の階段」は写していい
天井画が豪華だ
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裁判所(左)と牢獄(右)を繋ぐ橋
この世の見納めだと溜息をついた
ため息橋
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今回のツアーの目玉は、この宮殿のシークレットツアーだ。以前来た時は一般的なコースを回ったにすぎない。それでも、裁判所、ため息橋、牢獄の3点セットに宮殿らしくないものを感じ、20数年経た今もよく覚えている。
「さらにシークレット!ってなんだろう」とワクワクしながら参加した。シークレットと言えるかどうかはともかく、一般のツアーでは訪れない書記の部屋、屋根裏部屋、拷問部屋、カサノバが入っていた牢獄などを見学。カサノバは1755年に脱獄。後に脱獄記を書き、人気を博したという。びっくりするような部屋もなく期待外れだったが、見学の予約は難しいらしい
シークレットツアーの次は一般コース。宮殿内部は撮影禁止だが、中庭や黄金の階段など撮っていい場所がいくつかある。中庭にある「巨人の階段」の上部には、軍神マルスと海神ネプチューンの像がある。就任した総督は、2つの像の前で法に誓いをたてたそうだ。
いちばん大きくて豪華な部屋は「大評議会の間」。奥行54m、幅25メートル、高さは15.4mで、1500人を収容することができた。壁も天井もすべて絵画で覆われている。正面のティントレットの「天国」(7m×22m)、天井のヴェロネーゼの「ヴェネツイアの大勝利」はじめ、ルネッサンス巨匠の絵のオンパレードというところだ。
この豪華な部屋を見た後に「ため息橋」を渡り、牢獄に向かう。あまりにも分かりやすい天国と地獄。牢獄におもむく囚人がこの橋から美しい市街地をながめ「これで見納めか」とため息をついたという。ヴェネツイア本島に400以上ある橋の中で、もっとも有名な橋だ。
次は隣接しているサンマルコ寺院(上の地図のE)へ。サンマルコ広場は、共和国が盛んだったときも、ナポレオンが攻略したときも、オーストリー帝国に支配された後も、中心広場だった。今もたくさんの観光客が訪れる。広場の正面に立つのがサンマルコ寺院だ。
中央の高いところに金色のサンマルコ像、その下には翼のある金獅子が聖書に前足をかけている。サンマルコのシンボル・ライオンは、この街のシンボルにもなっていった。正面の5つのファサードは、イエスの一生を描いたモザイク画で飾られている。
寺院の内部は混み合っていたこともあってMARIKOさんの説明はあっさりしたものだ。ヴェネツイア初の人はいないので、省いてもいいと思ったのだろう。ビザンチンの影響を受けているヴェネツイア寺院は、ステンドグラスではなくモザイクが使われていることが多いが、ここサンマルコ寺院も例外ではない。
前に来たときは見過ごしていたが、モザイクの床面は波打って歪んでいる。言うまでもなく地盤沈下だ。ヴェネツイアの中でいちばん低いのがサンマルコ広場と聞けば、地盤沈下もさもありなんと思う。
スパゲッティボンゴレと舌平目のグリルの夕食後、希望者だけサンマルコ広場(上の地図のF)のライトアップ(左)を見に行った。
9時少し前だったが、広場にはチラホラしか人影がない。鳩もいない。昼間の喧騒がうそのようだ。アフリカ系の若者数人が、おもちゃを売っていたので、目を合わさないようにしていた。怖いのではなく、買わないからだ。ポリスの目を盗んでの商売に違いない。<ヴェネツイアのカ・アルヴィゼ泊>
(2014年3月16日 記)
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