イエメンの旅10(最終回) 2009年3月4日(水)−10日目 紅海沿岸から内陸部に入り、首都サナアに向かっている。ハジャラ(イエメンの旅2の地図参照)という標高2300bの村を訪れた。6〜7世紀ころに、山の頂上に住んだのが始まりだ。11世紀ころには城壁で囲み、門も1つしか作らないなど敵の侵入を防いだので、ここだけはオスマントルコに侵略されなかった。 城塞都市をずいぶん訪れたが、首都のサナアに近いハジャラは観光客が多く、売り子の攻勢(左)もすごい。「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」など連発しながらすり寄って来るが、いまさらガラクタは増やせない。 昼食はサルタという石鍋料理、例のギシルなどイエメン独特の料理が並んだ。ジャンビアダンスの実演もあった。イスラムの国でもベリーダンスなど女性の踊りは多い。でもイエメンでは楽器も踊る人も男ばかり。私が女だけに、妙な感じは最後まで拭えない。 今日のドライバーは、私たちとはほとんど交流しない。そのかわり、運転しながらケータイを使う。かかってきたのでなく、こちらからかけている。ハジャラからサナアまでは山道だからヒヤヒヤするが、もともと運転には自信があるのだろう。日本なら通報すればお巡りさんが飛んでくるが、ここはイエメンだ。 ドライバー達は全員がケータイを持っている。一家の主は持っているのが普通なのだ。電話の普及は遅れたが、それを通り越してモバイルが発達した。 モバイルの会社はMTN、CDM、GSMと3つもある。これもシャーミーさんと同乗したときに聞いた話。特にMTNは南アフリカのサッカーワールドカップの公式スポンサーだ。もちろんイエメンの会社ではないが、サナアの飛行場には、ワールドカップの公式スポンサーとの垂れ幕(左)がかかっていた。 サナアに戻る途中、2ヵ所で写真ストップ。アラビア半島でいちばん高いシュワイプ山(3770b)も見えた。この時期の富士山には雪があるが、シュワイプ山は茶色の岩肌だった。 サナアのホテルに入る前に、スーパーマーケットに寄った。残った現地通貨を使いきるにはスーパーマーケットは便利だ。クッキー御殿が建つほどよく売れているというイエメン産クッキーを大量に買い込んだ。現地で味見したときは美味しかったが、日本で食べるとさほどではない。ゴマ菓子同様、自分が気に入らないモノは人にあげられないので、大量に残っている。旅の最初に3泊したと同じホテルに戻ってきた。 3月5日(木)−11日目 今日は事実上の最終日。まず市内にある去年完成したばかりの「大統領のモスク」に行った。イエメン7回目の添乗員さんは「私も初めてだわ」と少々はしゃいでいる。名前の通り、サレハ大統領が日本円にして60億円の私財を投じて作った。大統領がこんなに金持ちなのはおかしいのではないかと思うが、「国民に支持されている」とジャミーさんは語った。 次はサナア近郊にあるベイトブースという要塞の町に行った。「要塞の町は見飽きたなあ」と思う一方、最後だからしっかり見てこようの気持ちも起こる。ベイトブースの入り口で、麓から水をくみ上げている女性達に出会った。要塞の中には水もないのだ。テレビが映っていたから、電気はある。電気はあっても水のない生活。それでもここに住みたいのかなあと思うが、50人が生活している。最後の最後まで、こうした人間の営に引きつけられた旅でもあった。
14時にサナア空港到着。ここで10日間世話になったシャーミーさんとお別れ。だれもが彼との別離を残念がった。サナア発(16時10分)→カタール航空でドーハ着(18時35分) ドーハでの待ち時間はなんと6時間。カタール航空が食事券をくれたので、粗末な夕食をとった。免税品も欲しくないし、することがない。でもさすがドーハの空港だ。「Quiet Room」という部屋があったので横になって休憩。隣の部屋は「Prayer Room」。たくさんの人が祈っていた。ここでも女性専用のお祈りの部屋は見なかった。 3月6日(金)−12日目 ドーハ発(0時36分)→カタール航空で関空着(15時45分) ドーハでの待ち時間も長かったが、関空でも4時間。カード会社のラウンジがあったので、そこで数種の新聞を読んで2週間のニュースを仕入れた。留守中の日本は、関東地方で雪が降るなど寒かったらしい。関空発(19時58分)→ANAで羽田着(21時5分着) |