イエメンの旅3
 サナアの旧市街

2009年2月24日(火)-3日目

 サナア観光の続きを書いている。旧市街は期待を裏切らないものだった。ジャンビアという先の曲がった短剣を太帯に差した男性が闊歩している。

ジャンビア ジャンビア ジャンビア
ジャンビアを差した男たちが誇らしげに歩いている。 ジャンビアの拡大写真 カワイイ孫を連れたおじいさんもジャンビアをしている。

 ジャンビアは成人した男性のあかしで、14〜15歳になると帯刀が認められる。短剣をしていることの誇りだろうか。全員が堂々としていてしょぼしょぼ歩いている人は皆無だ。ジャンビアが珍しいのでそこに目をやると、鞘から抜いて見せてくれる。刃渡りは20a以上あるので、武器にもなりうる。喧嘩になってつい刀に手を・・ということはないのだろうか。それにしてもサナアの男達は陽気だ。気持ちよくカメラに収まってくれるうえに、チップも要求しないし、フレンドリーだ。

黒衣の女性たち女性はというと、ドーハと同じく黒衣がほとんど。2〜3人が連れ立って金細工の店で品定めをするなどショッピングを楽しんでいるように見えた(左)。黒衣の女性も、目だけを見ても年寄りか若い女性かわかってくる。

 もっとも、ぱっちりした黒い瞳が多いので、知人に会ってもすぐには分からないような気がする。ガイドのシャーミーさんは、町で奥さんに会っても分からなかったと話していた。

男性にカメラを向けるときも断っているが、女性を撮ってはいけないと注意されているので真正面から撮ることはできない。ただし、風景の中に入ってしまうのは構わない。望遠を使っての撮影は構わないそうだ。要するに撮られていることが分からなければ、許されるらしい。

昼食後に少しホテルで休憩。午後3時ころから再び旧市街を散策した。午前と午後に旧市街を歩いたのは正解だった。というのはイエメンの男性は午後にまったく別の顔を見せる。

 男性のほとんどがカートという覚醒作用がある植物の葉を噛み始める。カートは標高1000b〜2000bで栽培されるアカネ科の低木。生の葉を噛むと軽い興奮が得られるとか。スークの店員も道を闊歩している人も広場でおしゃべりに興じている人も、くちゃくちゃやっている。カートの葉をかみ砕きエキスだけを飲み、葉の糟は口の中にためる。糟がたまってくるにつれ、ほっぺがどんどん大きく膨らんでくる。片方のほっぺが膨らんだサマは、瘤取りじいさんそのものだ。時間に余裕のある人はマフラージュという男性用の応接間に集まって、おしゃべりしながらカートタイムを持つらしいが、スークの店員やドライバーはそんな優雅なときを持てない。

ふくらんだ頬 カート 道路標識
カートを口に溜めているので、頬がふくらんでいる。 カートは植物の葉。葉にも等級がある。 道路標識もイスラム風だ。

エチオピアやケニアにもカートの習慣があるが、イエメンほど噛んでいないようだ。日本で言えば「ちょっと一杯」の感覚。社交やストレス発散にはなくてはならぬものらしい。

イエメン門5つあった門のうち唯一残っているのがイエメン門だが、これはサナアの代表的な風景で絵はがきになっている。この門の真下の広場で、ウィークデーの午後4時というのに、大勢の男性が輪になって暇そうにおしゃべりしていた。もちろんカートもやっている。何をしゃべっているのか分かる筈もないが、口角泡を飛ばしている。日本の中年オジサン達のこういう姿を見たことがない。

 「私たちも広場に坐ってみようよ」とHさん・Sちゃん・夫の4人で座り込んだ。瞬時に大勢のイエメン人が、回りに集まってきた。Hさんが少しアラビア語がわかるのでやりとりしているうちに、英語の分かる人が加わった。

 「何処を回るのか」「何日間いるのだ」「グレートモスクは見たか」などたわいのない会話を続けたが、イエメン人の輪はどんどん増えて二重になった。日本なら、上野公園にイラン人が輪を作っていたときも、気味悪がって近づきさえしなかった。気味悪がらないまでも、人の輪に勝手に入らない節度を日本人は持っている。イエメン人のよく言えば人なつこさ、悪く言えばずけずけ入り込んでくる図々しさ。両方とも不愉快ではなかった。

広場に集まる人

ちなみに、公務員の勤務時間は朝の8時から午後2時まで。一般的な会社は午前8時から12時、午後3時から6時までがビジネスの時間。だから午後4時に中年の男達がたむろしていても、失業者とは限らない。

ホテルに戻り夕食までに1時間以上あるので、Hさんの部屋でカートパーティーをすることになった。事前にイエメンの本を読んできたHさんは、イエメンを知るにはカートを試さねばと思いこんでいる。スークでの買い物の時間に、シャーミーさんに見てもらって最高級のカートを買っていたのだ。日本のお茶にも等級があるようにカートにも等級があるようだ。朝早く地方のカート畑で摘まれたものが、トラックで市場に運ばれ、その日の内に消費される。

「どんな気持ちになるんだろうね」と楽しみにしていたが、4人とも少し囓っただけで、もうたくさん。だれも瘤取りじいさんや瘤取りばあさんにはならず、興奮状態も得られなかった。

カートは期待はずれに終わったが、ちょうどこの時間に、夕方のアザーンが聞こえた。暮れなずむ市街地のミナレットから聞こえてくるアザーンは、これまで聞いたどのアザーンより心に染みた。「アッラーは偉大なり」「アッラーの他に神はなし」の太い声が次々と押し寄せてくる。高い声もあれば低い声もある。最近はテープを流している国が多いが、イエメンでは生の声だ。旧市街だけで55ものモスクがある。それぞれのモスクが唱えるので、その響きがこだましてイスラム信者でない私にも何かを訴える。

「今日だけで旅の目的の半分は達成したようなものね。日干しレンガの高層住宅も見た、ジャンビアも見た、カートも試した、アザーンも聞いた」と皆で言いあった。     <サナアのタージシバホテル泊>

2月25日(水)−4日目

 今朝もアザーンで目を覚ました。アザーンの太い声は心地よいが、寝不足にならないように気をつけねばならない。今日はサナア近郊を回る。イエメンでの移動は大型バスではなく、4WD車に分乗する。ゆとりを持って1台に3人しか乗らないので、添乗員とガイドを含め20人が7台に分乗する。毎日別の車に乗るように、事前に組み合わせが出来ていた。ドライバーも7人もいると、個性がある。英語が話せないからか無口な人、話せなくても陽気な身振り手振りで接してくれる人、一日中歌を歌っている人、休み時間になるとジャンビアダンスを踊り始める人。

 今日私たちと一緒に乗る仲間はZさん。ドライバーが無口だったので、もっぱらZさんとおしゃべりしていた。

 サナア市内を抜けるとすぐ岩山が迫ってくる。30分もすると、ワディ・ダハールのアル・カベール村に着いた。ワディ・ダハールは標高2400bの緑豊かな渓谷。ワディ(渓谷)は、雨期になると水が流れるので耕作に適している。アル・カベール村は岩山にへばりついた集落だが、サナアと同じような日干しレンガと白い漆喰窓の建物が目に付いた。

 ここから歩いて、お目当てのロックパレスに向かう。カートの畑が両側に広がっていた。以前はコーヒー畑だったが、カートの方が金になるからと、この辺りの農家はこぞってカートを植えるようになったという。

アル・カベール村 ロックパレス ステンドグラス
岩山にへばりついたアル・カベール村 文字通り岩の上に建つロックパレス ステンドグラスのようなカマリア窓

 ロックパレスは文字通り岩の上に立つ宮殿で、1786年にアルモンスールによって建てられた。こんな高い所に建てたのは外敵を防ぐため。1930年にこの地を治めたシーア派ザイド朝のイマーム・ヤヒヤが、夏の宮殿にした。1962年の革命以降は国の所有になり今は博物館。各階の部屋を覗きながら、屋上まで上った。眼下にはワディや段々畑が見えた。茶色の世界ばかりのように思えるが、カートを始めアンズ・モモ・麦も植えてある。

 パレス見学の後でジャンビアダンスを見学した。ジャンビア(短剣)を振り回しながら、太鼓の音に合わせて陽気に踊っていた。手の動きよりも足のステップが難しそうだ。 (2010年11月2日 記)

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