エジプトの旅 2
ピラミッドは巨石の集合体

 カイロ近郊のメナ・ハウス・オベロイホテルのカーテンを開けると、朝靄のかかった幻想的な三角形が、目の前に飛び込んできました。朝食前にまずは下見と歩き出せば、イスラムの制服を着た女学生が通り過ぎる傍らで、「これホンモノ。安いよ安いよ」「ラクダに乗らないか」と数人の男どもが言い寄ってきます。

 荒涼とした茶褐色の世界に凛とそびえ立つピラミッドとスフィンクスを想像していた私は、こんな風にホテル、民家、学校がすぐ側まで押し寄せ、押し売りや客引きがたむろし、はてはラクダや馬の落とし物の臭いがする現実に、裏切られた気分になりました。

 ピラミッドは単独の施設ではなく、左の写真で見るように、スフィンクスや河岸神殿、参道などがワンセット。ポツンと立っているわけではないのです。

 現在確認されているだけでも、全土に40基のピラミッドがあると言われています。旅の間に、階段ピラミッド、屈折ピラミッドなど珍しいものも見ましたが、ここでは、最も大きいクフ王のピラミッドについてお話します。クフ王のピラミッドは、底辺の一辺が230bで、4辺は正確に東西南北に位置。高さは146b(上が欠けているので実際は137b)。

 遠目に見ると、なめらかな四角錐ですが、実際は、大きな石が階段状に積み重なっているゴツゴツした石の集合体でした。当時は赤い花崗岩で覆われていたそうですが、14世紀にカイロの街を作る時に剥がされてしまい、今は石灰岩が剥きだし。

 1個の石の容量は1立方b、重さは2.5トン。それが201段も積み上げられています。数字だけではピンと来ないかもしれませんが、1b余も高さのある2500sの巨石が、201段も重なっているさまをご想像下さい。しかも石は、外壁だけでなく、中身にも使われているので、全体では250万個という途方もない数になります。

 石を切る満足な道具もなく、持ち上げるクレーンもなく、トラックなど輸送機関がなかった時代に、この工事がどんなに大変だったことか。深く考えれば考えるほど身震いさえしてきます。何よりの驚異は、この建造物が崩れもせず、4500年前の姿をほぼ保っていることです。BC3世紀にギリシャのフィロンが世界の七不思議をあげていますが、現存しているのはピラミッドだけ。

 ピラミッド頂上への登頂は禁じられています。いずれにしろ、短足の私には、一段登るのさえ至難のわざですが、実際に頂上に立った2人から武勇伝を聞いたことがあります。ひとりは機内で隣り合わせた大学生。「闇にまぎれて登頂した後の朝日の美しさは、生涯忘れないだろう」と興奮気味に話してくれました。

 もうひとりは近所に住む元世界史の先生。朝早く周辺を散歩していたら、どこからともなく男が現れ「登るなら手伝ってやるよ」。金次第ではどうにでもなる世界なのです。彼に押し上げてもらいながら、およそ40分で頂上へ。写真でもおわかりのように、頂上は欠けています。平らな部分が30畳もあったそうですよ。

 人力だけに頼っていた時代にあって、過酷に働かされた人々を想像してしまいますが、農民がピラミッド造りに駆り出されたのは、ナイル川の氾濫期、つまり農作業が出来ない時期。意外にも失業対策の意味もあったようです。当時は、王と神は同じ。王のために働くことが、自分たちの来世への希望にもなりました。アスワンの石切場では、労働者が書いたと思われる「クフ王万歳」の落書きも見つかっています。

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