エジプトの旅 
               <1996年1030〜116日>

 1 私とエジプト
 2 ピラミッドは巨石の集合体
 3 ピラミッド内部には壁画がない
 4 ツタンカーメンの墓
 5 美しき青きナイル
 6 数本しか残っていないオベリスク
 7 オベリスクを見ると世界史がわか
 8 年に2度の天文ショー・アブシンベル神殿
 9 ラムセス2世のミイラ
10 砂漠とラクダ
11 2人の女王・ハトシェプストとクレオパトラ
12 ピラミッドを作ったエジプト人はどこに?
             
               
エジプトの旅 1
私とエジプト

 
エジプト行きは、1996年の秋。年休をほとんど消化しないマジメ男が勤続30年を名目に、わずかの休みをとってくれたので、ベストシーズに訪れることが出来ました。

 ホームページを開設してから1年が経ちました。毎月更新しているとネタが切れてしまい、6年前の旅を登場させることに。エジプト文明5000年を思えば、6年などささいな年月だ・・と都合の良いように解釈しています。

 エジプトと言えば、ピラミッドやアブシンベル神殿など巨大遺跡を思い浮かべますが、私がエジプト行きを熱望するようになったのも、小学生の時に見た三大ピラミッドの写真がきっかけでした。ところが、旅行から6年が過ぎた今、わが故郷のように瞼に浮かぶのは、遺跡ではなく、何気ない風景やエネルギッシュな人たちなのです。

 アスワンの夕焼け、青いナイル川に浮かぶファルーカ(帆舟)、草木のない茶色の世界、野菜を背にトボトボと歩くロバ、荒涼の地に立つガラベーヤ(長衣)を着た男、バザールのざわめき、絵葉書や偽パピルスの売り込みに必死だった子供達、ラクダに乗ってもらうためにあの手この手で迫ってきたオジサン達、数倍の値段をふっかけるバザールの店員達・・。

 右の写真は、同行の方が撮影した「夕焼けのナイル」。このファルーカに乗って、1時間ほどナイルの風景を楽しみました。

 東京でエジプト美術展が開かれたのは、1963年。こんなチャンスを逃すまいと、当時住んでいた仙台からわざわざ上京しました。書物で知っていたとはいえ、日本では縄文土器、土偶、勾玉を作っていた時代に、これほどの文明があったのか!遺物を間近で見たときの驚きと興奮は、今でも蘇ってきます。写真は、大事に保存してある40年前のカタログの表紙。

 2年後の1965年にはツタンカーメン展が開かれ、黄金のマスクも展示されました。この時の半券も残っていて、物持ちの良さに、自分でも感心しています。入場料は300円でした。

 こんな事があり、「海外旅行はまずエジプトから!」と長いこと思い続けていたのです。ところが、エジプト行きを計画するとは、中東戦争、イスラム同士の抗争、湾岸戦争など邪魔が入り、行けずにいました。そうこうしているうちに、大英博物館、メトロポリタン美術館、ルーブル美術館、ベルリンのエジプト美術館などで多数のエジプトに出会い、もうエジプトは知り尽くしたような気分になっていました。

 ところが、本や博物館を通して勝手に思いこんでいた「百聞」が、いかに間違っていたかを、わずか8日間の「一見」で気づかされることになりました。主に間違い発見の旅を綴っていくつもりです。

感想・要望をどうぞ→
次へ
ホームへ