エジプトの旅 5
美しき青きナイル

 「世界で1番長い川」と地理で習い、「エジプトはナイルの賜物」なるヘロドトスの言葉を歴史で習うこともあり、ナイルは中学生にもおなじみの川です。砂漠地帯を貫通しているので、水は砂で汚れているに違いない・・と、勝手に思い描いていました。

 ところが、それはとんだ思い違い。大都市カイロ附近の水は、清流にはほど遠い色ですが、中流のルクソールからアスワンまでの川筋の美しさは例えようがなく、私が見たどんな川よりも美しき青き川でした。

 「美しき青きドナウ」のドナウ川を、2度見たことがあります。2度とも茶色っぽく濁った色で、「これが青き川か」と、あきれてしまいました。中国の黄河は、茶色を通り越してチョコレート色。それに比べ、ナイルはきれいですよ。写真は、アスワン付近のナイル。
 
 ナイル川は、水の色ばかりでなく周辺の景観と一体になって、ますますその美しさを高めています。右写真のように、川の両端にはわずかばかりの緑地帯があり、背後にはどこまでも続く茶色の砂漠。
 簡単に言うと、青いナイルと、緑の耕作地と茶色の砂漠しかないのです。この三色がエジプトすべての色といっても大げさではなく、従って地形も非常に単純です。

 一つの視野の中に三色が収まってしまうのは、川幅が狭く、緑地も狭いということです。細く頼りなげなナイルを見ていると、「エジプトはナイルの賜物」は、本当だろうかの疑問がわいてきました。
 
 中学の歴史教科書に載っている、水位の変化をごらんください。増水期は8bもありますが、収穫期には1bしかありません。洪水期と言っても、暴れ川になるわけではなく、ひたひたと増水し、じょじょに減水。減水後に、肥沃な土地が残る仕組みでした。

 肥沃な土地がエジプトに強大な富をもたらし、「ローマの穀倉」とまで言われたほど。「エジプトはナイルの賜物」は、真実だったのです。

 カゲラ川(ルワンダ)を源流とする白ナイルと、タナ湖(エチオピア)を源流とする青ナイルがあり、この二つが合体して1本になる場所がスーダンのハルツームです。ここから北のカイロまでは、一滴の雨も降らない地域。したがって、エジプト国内では、雨による増水もなければ、支流からの増水もなかったのです。

 源流の熱帯雨林に降る雨が規則的であり、その土地が肥沃なために、エジプトに肥沃な土地がもたらされたのでした。もっとも当時のエジプト人は源流がどこにあるかも知らず、増水と減水のメカニズムもわからないまま。シリウス星が東の空に輝く頃に増水が始まることから天体の謎にせまり、太陽暦を発明。氾濫後の農地の境界線を見分けるために測量が始まり、ナイルメーターで年貢高まで算出するようになりました。エジプト文明は、川の氾濫から始まったと言っても過言ではないのです。

 アスワンハイダムの完成(1971年)後は、農業用水や飲料水の確保、水力発電はすべて人間が支配しているので、水位の変化はなくなりました。氾濫がなくなれば、1年中農作業が出来ますが、いいことばかりではなさそうです。

 ダムが出来る前は一滴の雨も降らなかったのに、巨大ダムから蒸発する水蒸気が雲になり、時に激しい雨を降らせるようになりました。そのために日干し煉瓦の家が流されたり、収穫物に被害が出るなどの悲劇も。肥沃な黒土がダムに沈下して下流を潤さなくなったために、化学肥料に頼らざるを得なくなるなどの問題点も出ているそうです。やれやれ!

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