エジプトの旅 6
数本しか残っていないオベリスク

 ギリシア語で「串焼き」を意味するオベリスクは、太陽神ラーに捧げられた記念碑です。中王国から新王国時代にかけて、たくさんのオベリスクが神殿に奉納されましたが、今や、エジプトに残っているのは数本のみ。ほとんどが、海外へ渡ってしまったのです。なぜ?どこへ?は、次の項「オベリスクを見ると世界史がわかる」をお読みください。

 ルクソールの東岸にあるルクソール神殿とカルナック神殿は、誰もが訪れる観光スポットです。神殿の柱は、12人が手を伸ばして一回りできるほどの太さがあり、ギリシアの神殿に比べ、大きいことに驚かされます。右の写真は、ルクソール神殿第1塔門にあるラムセス2世のオベリスク。人間が小さく写っているのが、お分かりですか。

 もともとは2本そろって奉納されましたが、今は左側1本しかなく、バランスに欠けます。右に立っていた1本は、パリのコンコルド広場に。私が初めて見たオベリスクは、コンコルド広場のものでした。

 カルナック神殿では、3本のオベリスクを見ることが出来ます。「ここが2本のオベリスクが見えるポイントです」のガイドの説明で、パチリ。左がトトメス1世、右がハトシェプト女王のもの。

 他の1本は、同じハトシェプト女王のものですが、なぜか横たわったまま。現在の技術をもってしても、遺跡を破壊せずに立ち上げることが、難しいのかもしれません。
 
 現存している中で最大のオベリスクは、ハトシェプト女王のもの(写真右側)で、高さ30b、重さ315トン。30メートルの一枚岩をどうやって切り出したのか?どうやって運んだのか?どうやって垂直に立てたのか?ピラミッドの建築法と同様に、次から次へと疑問がわいてきます。
 
 女王のオベリスクには、石の運搬方法がヒエログリフ(象形文字)で記されているそうです。せっかくの文字も私には単なる模様ですが、女王の葬祭殿にあるレリーフには、オベリスクを運んだ時の様子が描かれていました。これなら文盲にもわかります。

 オベリスクの材料である花崗岩の原産地は、アスワンです。ここで、かつての石切場を見学しました。切りかけのオベリスクが放置されていて、3500年前の切り出しの現場にいたかのような気分になります。長さ41.75b、重さ1152トンと推定され、完成していれば最大。写真右の長い棒状のものが切り欠けのオベリスク。

 切り出したものをナイル川沿岸まで運び、筏に乗せて川を下り、ルクソールに陸揚げ。次に神殿の場所まで運び、それを垂直に立ち上げ。この一連の作業は、高層ビルが林立する今の技術を使えば簡単に出来そうですが、なにしろ3500年も前のこと。ただただびっくりするばかりです。

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