エジプトの旅 8
年に2度の天文ショー・アブシンベル神殿

 アブシンベル神殿は、アスワンから飛行機で40分の地、エジプト最南端にあります。機内の窓から撮った貴重な写真を見てください。右が小神殿、左が大神殿。ガラス越しなので、小神殿のあたりは白く光って見にくいですが。

 空港は茶褐色の中にポツンとあり、神殿までの道中も、まったく音のない世界。1本の草木もなければ行き交う車もなく、土産物屋もなく、人の住んでいる気配もなく、動物すらいるのかどうか。神殿に着くと、満々と青い水を貯えたナセル湖が目に入り、色彩のありがたさをこの時ほど感じたことはありません。

 アスワンハイダムの建設により、神殿はダムの湖底に水没する運命にありました。ユネスコが救済キャンペーンを展開したおかげで、今に残ったのです。多くの救済案の中から、ブロックに切断して移転後に組み立てるというスエーデン案が採用されました。ご覧のように切断したとは思えない出来映え。接着剤は日本製だそうですよ。移転が完成したのは1968年、ナセル大統領の時です。

 上の写真は、1975年に父が撮影した大神殿。移転後間もないこの時期に、エジプトを旅する人は、まだ少なかったと聞いています。私も何枚も撮りましたが、親孝行の意味もあり、父のアルバムから借用。右下に座っているのが、27年前の母。今88歳です。

 岩窟に彫られた神殿は大小二つあり、人工の岩山でつながっています。大神殿は、ラムセス2世が現人神として、自らの神殿を造らせたもの。都テーベ(今のルクソール)から遠く離れた奥地での建造がどんなに大変だったことか。

 巨大な4体の像は、すべてラムセス2世。足の間の小さな像は、王妃、王子、王女。ファミリー勢揃いで見方によっては、家族団らんです。神殿の内部にまで、何体もの彼の像があり、壁にも大げさな戦勝報告や賞賛の言葉。ラムセス2世オンパレードです。

 右の写真を見ると、足下にある小さな像がおわかりですね。背の高い男性が8年前に亡くなった父。「黙ってワシの写真を世界に発信するなんて。勝手な真似をするな!」と怒っているかな?

 小神殿は王妃ネフェルタリのために建てた神殿。100人もの子供がいた事で知られるラムセス2世ですが、ネフェルタリは神殿を造るほどの特別な存在だったようです。

 「1年に2度、神殿の奥深くある4体の像のうち3体を、朝の太陽が順次照らしていく。1体は闇の神なので太陽があたらない」というびっくり仰天するような話を、大神殿の内部で聞きました。

 右の写真奥の光っている所(この時は、太陽光ではなく電気のあかり)に、4体の像が立っています。入り口から10数bも入った奥ですよ。

 たった5分間のショーですが、ヌビア人(エジプト奥地に住む人種)が民族衣装で前の晩から踊り明かし、当日の朝は大勢の見物人が押し寄せるそうです。1軒しかないホテルは何年も前から予約で一杯、泊まれない人は、テントを張る場合も。

 1年に2度の日は、2月22日と10月22日。移転前は、2月21日と10月21日でしたが、移転したことで狂ってしまったとか。2月21日はラムセスの誕生日、10月21日は、彼が即位した日。ウッソーと言いたくなりますが、この日だけに奥まで朝日が射し込むことは確か。天文学、地理学、数学の正確さを物語るものです。設計図どおりに施工した技術の高さにも驚くばかりです。

 神殿を約64b上に移築したことで、ずれが生じたわけです。世界の英知を集めての移転作業にもかかわらず、3300年前の智恵にかなわなかったと言うなら、こんなに愉快な話はありませんね。エジプトの旅は、まだ続きます。
(2002年12月2日 記)

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