エジプトの旅 9
ラムセス2世のミイラ

 ガイドのサウサンさんがいちばん口にしたファラオは、トトメス3世でもなく、ツタンカーメンでもなく、クレオパトラでもなく、ラムセス2世でした。67年間も王位についていたこと、100人以上の子供がいたことが、繰り返し語られたのです。彼が残したアブシンベル、カルナック、ルクソール神殿を見学するたびに、旅人に受けそうな「100人の子・・」の逸話が登場したので、いやでも覚えてしまいました。

 自己顕示欲も強く、他の王の名を削り取り自分の名を刻ませたり、他の王が建造した神殿の石材を流用して神殿を作っています。権力者の本質は、古今東西こんなものでしょうから、驚きもしませんが。なにはともあれ、古代エジプトきっての有名ファラオです。

 私が初めてラムセス2世の名を知ったのは、映画「十戒」でした。「十戒」は旧約聖書の「出エジプト記」を映画化したもの。モーゼのエジプト脱出は、BC1230年頃、ラムセス2世か次のメルヘンプタハの時代であったろうと言われています。映画では、もちろんラムセスの統治下。モーゼの善を際だたせるには、悪の代表ラムセスが必要だったのでしょうね。

 逸話いっぱいの有名ファラオのミイラに対面したのは、カイロの博物館でした。入館料以外に、特別料金が必要。ラムセス以外にも10人のミイラが眠っていますが、真っ先に彼の所にかけつけ、じっくり眺めました。「十戒を思い出すわねえ」とつぶやいたら、「ユール・ブリンナーですね」と合いの手を入れてくれた別のツアーの若者がいました。「あら!あなたが生まれる前の映画よ」「ボク映画オタクですから」と、しばしミイラの前で映画談義。

 左がラムセス2世のミイラ。撮影禁止なので絵葉書です。下の方にかすかに髪の毛まで見えますが、弱いウエーブのかかった金髪。ヘンナという染料で染めた・・と本には書いてあります。他のミイラは?とあらためて見ると金髪は一体もありません。なぜラムセスが金髪に染めたのか、知りたくなりますね。

 ただ眺めると、気味悪い物体にすぎませんが、「このひからびた爺さんが100人以上の子を産ませたのか」など思いながら見ると、興味津々。大英博物館でもたくさんのエジプトミイラに接しましたが、ただ通り過ぎただけ。今回は、すみずみまで見物してしまいました。

 見物しておきながら言うのもナンですが、大ファラオを外国人のオバサンにまで晒してしまっていいものでしょうか。もし日本の天皇がミイラ化されたとしても、観光客の目に晒すことには、宮内庁ばかりか、国民も反対するでしょうね。陵墓の発掘すら許さないのですから。

 初期の頃は、王や貴族だけに許されていたミイラ化も、次第に農民や庶民にも認められました。身分により3種の作り方があり、庶民の場合は、ごく簡単な方法。王の場合は念が入っています。まず小腸、肝臓、胃、肺が摘出され、それぞれの入れ物に保管。

 写真は博物館で見た4つの入れ物。蓋のそれぞれに動物や人間が彫られ、入れる内臓が決まっています。

 心臓は個人の人格が宿っているので、残されます。心臓以外の内臓を摘出した後は、脱水用のナトロンの液に52日間つけて乾燥。亜麻布で巻き、防腐剤を塗り納棺。シリウス星になった死者が、太陽に復活するまでに70日かかるのだとか。それもあって、ミイラ制作に70日かけたという話です。

 博物館には、死体を処理した台や内臓を取り出す器具も展示されていました。処理台は花崗岩製。少し傾斜がつき、異物が下に落ちるように穴があいています。この台の前に立つと、ミイラ師が内臓を取り出す作業が目に浮かんできて実にリアルですよ。

 人間ばかりでなく、動物もミイラにされています。博物館には、小動物のミイラが無造作に棚の上に置いてありました。右の写真は、コム・オンボ神殿にあるガラスケース入りワニのミイラ。コム・オンボ神殿は、ワニを祀っているので、特別待遇です。

 最後に余談ですが、ミイラの英語はmummy。なんと「お母さん」と同じスペル、同じ発音です。まだ日本語ガイドがいなかった頃に添乗員をしていた友達が、「mummy's roomは見ますか?」と聞かれ、意味がわからなくて困ったそうです。甘い香りさえするお母ちゃんマミーと、ミイラが同じスペルなんて・・。

感想・要望をどうぞ→
エジプトの旅 1へ
次へ
ホームへ