ギリシャ・エーゲ海の船旅 4
パトモス島

 2日目午後の上陸はパトモス島。「エーゲ海のエルサレム」とも言われ、キリスト教徒巡礼地の一つです。イエスの12人の弟子の一人ヨハネが、この島に流され「黙示録」を書いたことになっています。高台に建つ聖ヨハネ修道院は、石の城壁で囲まれ、教会というよりまるで要塞。内部にはイコン、聖衣、宝物の数々が展示されていますが、それは素通り。薄暗い教会内部の窓から見える、青く光るエーゲ海のパノラマに見とれてしまいました。

 ヨハネが黙示録を書いたという洞窟は、神の声を聞いた時に出来た3つの裂け目を持つ岩があり、いかにもそれらしい雰囲気。1900年も前のことで、真実かどうかわかったものではありませんが、「信ずる者は幸いなり」ということでしょうか。

 ヨハネがパトモス島に流されたのは西暦94年。「イエスは若くして十字架に架けられたから、弟子といえども同年齢か上でしょう?94年以降も生きていたなんておかしくない?」と信者である友人に疑問をぶつけてみたところ、「ヨハネは弟子の中でいちばん若かったのであり得るよ」という答え。彼は次男にヨハネにちなんだ名をつけたほどですから、確かでしょう。

ロードス島

 3日目は一日中ロードス島滞在。世界7不思議の一つ「太陽神ヘリオスの巨像」があったとされる有名な島です。巨像は何一つ残っていないので、想像図で見たヘリオス像を重ね合わせ、なんとかいにしえのギリシア人に近づいた気分になりました。

 港から65キロ南にあるリンドスはBC8世紀頃に栄えた都市。長い階段を上り詰めた絶壁上にあるアクロポリスに立つと、後に見る有名なアテネのアクロポリスとは別の感慨がわいてきます。聖パウロが上陸した港や、息を飲むようなエーゲ海が眼下に広がり、景色でいえばこちらのアクロポリスが断然上。  
 
 島のハイライトは中世の城壁に囲まれた旧市街です。なかでも必見は、十字軍騎士団のひとつヨハネ騎士団がいた「騎士の館」。石畳、石の城壁はヨーロッパではさほど珍しい風景ではありませんが、こんな街が大好きな私は、ロードスの中世の街もわくわくしながら歩きました。ロードス島へ行かれる方は塩野七生著「ロードス島の攻防」を事前に読むことをお奨め。添乗員さんに聞いて帰国後に読みましたが、ヨハネ騎士団とオスマントルコ軍の攻防は実にエキサイティング。この攻防を頭に描きながら城内を散策したならば、もっと楽しかったと思います。 

 ヨハネ騎士団をご存知のない方のために簡単にご説明します。中世三大騎士団の一つ。十字軍が1099年にエルサレムを占領した時に、ヨハネ騎士団はエルサレムの中心街に進出。後にエルサレムがイスラムに占領されると、キプロス島やロードス島へ撤退。1310年にロードス島を征服してから、オスマントルコ軍に追い出されるまでの約150年間は、この島に本拠を置きました。

 イスラム勢力に敗れてロードスを逃れた騎士団は、マルタ島へ。名前をマルタ騎士団と改称しましたが、後にナポレオン軍に敗れ島を撤退。最近はマルタ島観光のツアーも多く、パンフには「マルタ騎士団の島」とありますが、マルタに移った時点で、すでに全盛期を過ぎた騎士団だったのです。でもしぶといですよ。マルタ島を撤退せざるを得なかったこの騎士団は、今なおローマに本部があるとか。なにはともあれ、少女期に中世の騎士道物語を読みふけった私は、騎士団と聞くだけで、なにやら胸がときめいてしまいます。

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