イランの旅 3
パーレビー国王がアメリカに亡命し、宗教指導者ホメイニ師が実権を握ったのは、1979年。国の名前もイランイスラム共和国になりました。1966年生まれで中学生だったガイドのホセインは、国の混乱をはっきり覚えているそうです。共学が別学になり、授業の内容もイスラム的に変わりました。13歳と言えば同級生に恋も芽生える頃ですが、突如として「席を同じうせず」に。
亡命当時、ひんぱんに映像が流れた国王夫妻を、覚えていらしゃる方は大勢いると思います。写真左の紙幣肖像は若い時の国王。革命前、1975年にイランを訪れた両親のアルバムに貼ってあったものです。現在の紙幣の肖像はホメイニ師。街のあちこちに飾られている肖像も、ホメイニ師、ハメネイ師(ホメイニ師亡きあとの宗教指導者)、ハタミ大統領の3点セットです。右の写真は、3人の絵皿。
パーレビーは白色革命を断行し、女性解放、普通選挙、文盲退治など西欧化による革命を押し進めました。急激な欧米化でインフレが進み、貧富の差が広がり、経済が行き詰まった時に表れたのが、ホメイニ師。急激な西欧化の後に来たのは、急激なイスラム化。チャドル(頭の先から足先まですっぽり包んでしまう衣服)を例にとると、「着るな!」から「必ず着ろ!」に極端に変わったのです。
現在87才の母は26年前を思い出して、「国王の写真があちこち飾ってあった。黒いチャドルは見なかったわ。鮮やかな花模様がほとんど。スカーフをかぶらない人も大勢いた。もちろんビールも飲めたし、私たちには何も規制がなかった」と語っています。亡き父が撮影したアルバムには、革命前のイランの姿があります。26年も前のことゆえ、鮮明ではありませんがご覧下さい。右端が母。
20数年下って、娘が訪れた時の成人女性の服装は黒か紺。スーパーマーケットで買い物をしている女性をパチリ。アフガンのように顔までスッポリではありませんが、黒ずくめ。
日本では革命が起こったことがないので、ピンときませんが、このように180度変わるからこそ「革命」なのですね。父のアルバムを見て、妙に納得したのでした。父は、よもや自分の撮った写真が世界に?発信されているだろうとは、想像すら出来ないでしょう。ウフフ。
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