イランの旅 4
オモテとウラ

  「オモテとウラ、ホンネとタテマエ」は日本独特のものかと思っていましたが、どうしてどうして。まず「大悪魔・アメリカ」について。イスラム革命後、イランにとってアメリカは憎っくき大悪魔。サッカー通の方は覚えていらっしゃるでしょうか。フランスのワールドカップで、イランはアメリカを2-1で破りました。その時に、宗教指導者ハメネイ師が「大悪魔に対する闘いが勝利と名誉をもたらした」と声明を出したほど。

 「大悪魔」がお題目にすぎないことを知るのに、時間はかかりませんでした。第1、イランの通貨リアルへの両替は、日本円はダメで米ドルのみ。第2、英語が分かる人が大勢。ペルシャ語だけでは商売にならないバザールの店員は、流ちょうな英語で売り込みに必死でした。本気で悪魔と思っているなら、英語を中学の必修科目にしているのは何故と言いたくなります。第3、コーラの氾濫。こともあろうに、もっともアメリカ的な飲み物であるコーラが、毎度毎度食卓に出されたのです。コーラを山積みにしたトラックが工場から出てくる光景も目にしました。あまりにイラン人の生活に入り込んでいたので、革命時に駆逐できなかったとか。第4、留学先のトップはアメリカ。ロサンジェルスはイランジェルスとも言われているそうです。

 旅行者にまでスカーフと長いコートを義務づけ、アルコールを禁止しているほどだから、現地人はイスラムの戒律を厳しく守っているにちがいないと勝手に想像していました。ラマダンの項で書いたように、この想像は裏切られることになりました。まずアルコール類ですが、イラン人のほとんどは隠れて飲んでいるとのこと。ホセインは「こっそり飲ませてあげたいけど、バレたら首だから」。密輸や密造を上層部が知らないはずはないでしょうに。

 大学以外の学校は男女別、バスの座席は前が男性、後部が女性。恋愛の機会は少ないのではと、同情してしまいますが、あにはからんや、ナンパも盛んだそうです。「自家用車に乗ってしまえば、わかりませんからね」。登山も絶好のナンパの機会。「当局の目も山までは届かないし、長いチャドルは邪魔だから・・」。でも日本でなら日常的に見る「腕組む二人」を一度も見ませんでした。私たちは、公の場つまりオモテにしかいなかったので、ウラを見る機会はなかったのです。

 テヘランのホテルでの結婚披露宴は、お婿さんとお嫁さんは別々の部屋でした。新郎側は男性の客だけ。新婦側は女性のみ。「あら寂しいわね」「そんなことないですよ。ホテルの式が終わったら、個人の家に集まって男女一緒にドンチャン騒ぎ。もちろんスカーフなし、酒あり」。写真は、バザールで見かけた派手な衣裳の数々です。黒染めの衣の下は、このようにきらびやか。
 
 極めつけはヌード。ホセインの専攻は美術でした。「ヌードは描かなかったの」「大学では描けないので、われわれの部屋に来てもらいまいた」。夫以外の男性に髪の毛さえ見せてはいけないのに、若い男性の部屋でヌードが許されるなんて・・。要するに個室、当局の目が光らない場所ならば、何をしてもいいということです。なーんだ。

 イスラム教徒は偶像崇拝が禁止されているという理由で、アフガンのバーミアンの仏像が破壊されたのは、ごく最近のこと。偶像禁止ゆえに写真に撮られることを非常に嫌がると、一般的には言われています。ガイドブックでも「むやみにカメラを向けるな」と注意しています。ところが、イランではカメラ大好き人間ばかり。日本人がめずらしいのか、近寄ってきた少年とモスク内のアラベスク模様の前で。目がくりっとしてシャイな雰囲気が、なんとも可愛らしいですね。


 右の写真は、チャイハネに来ていた若夫婦と赤ちゃん。チャイハネはチャイ・紅茶を飲ませる喫茶店ですが、水タバコを吸っている人もいました。恍惚の表情で吸っている男性達の群にはちょっとびっくり。この若夫婦はなぜかカメラを持参していたので、双方のカメラに収まりました。ほれぼれするほどの美人でしたよ。おやおや髪の毛がスカーフから丸見え。
(2001年12月2日記)

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