イランの旅 5
世界初の帝国・ペルシャ
 

 現在のイランは、ペルシャと呼ばれていた地域とほぼ一致します。ペルシャの市場、ペルシャ猫、ペルシャ絨毯、ペルシャガラス。ペルシャと聞くだけで、エキゾチックな気分になってきませんか。テヘラン、イスファハンと並ぶ観光都市シーラーズ近辺は、ほぼ2500年前のペルシャ帝国の中心地。テヘランから南に約900qの距離にあります。アレキサンダー帝国、ローマ帝国、ビザンチン帝国、神聖ローマ帝国など帝国と名のついた地域は多々ありますが、BC550年にキュロス2世が築いたペルシャ帝国は、世界史上初の帝国。

 最盛期ダリウス1世の頃のペルシャ帝国は、西はエジプト、東はインドと広範囲。ペルセポリスに残る貢ぎ物を携えた使者たちのレリーフを見ると、属国の多さがわかります。ガイドのホセインは「これはフェニキア人、インド人、バビロニア人、アルメニア人・・」と帽子や持ち物の違いから説明してくれましたが、23もの国があるので、覚えられるはずもなく、ごちゃごちゃ。3000年もの王朝が続いたエジプトでさえ、クレオパトラ登場の約500年前にはペルシャに支配されていました。この挿し絵は「ナン香るイランから」の著者・川地恵理子さんのスケッチ。川地さんについては後に触れます。

 ペルセポリスは儀式用に建てられた宮殿で、東京ドームの2.6倍もの広さ。ヨルダンのペトラ、シリアのパルミラと並んで中東の3Pと言われる遺跡です。豪華な宮殿も、BC330年にアレキサンダー大王に攻め込まれ、一夜にして灰に。平山郁夫氏の「ペルセポリス炎上」を展覧会で見たことがありますが、こうして廃墟に立ってみると、燃えさかる宮殿の絵がリアルに思い出されるのでした。

 訪れた時のペルセポリスは、焼き尽くされた当時のまま、壊れた柱や土台が残っているだけの殺風景なもの。母に言わせれば「工場の跡地みたい」。使者達のレリーフや、イラン航空のマークにもなっている怪獣グリフィン像、ライオンが馬に噛みついているレリーフ(左の写真)など、当時をしのぶものはありますが、寂しい感は否めません。
 
 あいにく当日はイラン南部には珍しい雪が降り、「雪景色のペルセポリスの写真を持っている日本人はそうそういませんよ」とホセインに慰められる始末。「強者どもの夢の跡」という言い古された語句がつい浮かんできました。下の写真は、ペルセポリスから少し離れた地にあるキュロス王の墓の前で。降りしきる雪の中での撮影。

 
 ややこしいことに、この時代のペルシャはアケメネス朝ペルシャ。後に興ったササン朝ペルシャ(AD224〜651)とは別。ササン朝ペルシャがイスラムに滅ぼされた時に、当時の国際都市長安(今の西安)に逃げたペルシャ人が数千人もいました。その中の一人が来日し、天平文化に大きな影響を与えたということです。去年の11月に奈良で正倉院展を見ました。ペルシャ美術の影響が色濃い宝物が多くあり、戦争で逃れた人が文化を伝える皮肉を感じてしまいました。

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